コラム

同調圧力―漁村文化その2

参照:コラム「漁村社会とSDGs(江崎貴久さんインタビューに寄せて)

日本の文化の基底は農村文化であると、一般的に考えられています。しかし実際は、島国である日本の文化の基底には、今も脈々と受け継がれている、漁村、漁民文化が大きな割合を占めているのではないでしょうか。そして、このことの無視や忘却が、現代の日本文化に対する解釈を著しく歪めているように思います。それは、とりもなおさず、私たちの、日常での出来事の解釈や、物の見方を歪めることにもなります。もし、日本の基底文化としての漁民文化を再認識するなら、日々の暮らしの中での私たちのものの見方が一変するように思います。そして、このことは、これからの持続可能な社会の構築に大きなヒントを与えてくれるように思います。

例えば、最近、マスコミ等で、盛んに喧伝されている日本社会における「同調圧力」も、それが農村的な村社会特有の日本の文化であると断定的に述べられていることが多いのですが、果たしてそうでしょうか? 漁民は、農民と異なるパーソナリティーをもち、例えば、移動についての抵抗感が少なく、進取の気風があり、外来者に対して開放的である、と、言われています。このような漁民の詳細な環境認知に基づく民俗的特徴は、日本人の個人個人の判断の基礎でもあるように思います。一人ひとりの環境認知に基づいた判断が、ある時期、ある事象に関して、共通のものとなるのは、環境認知が自然に即したものであれば、自然の成り行きであり、適切であることが多いと思われます。同じ判断、同じ行動は、同調圧力によるとは限らず、同じ環境認知であれば、個人個人の自発的な判断や行動として現れます。例えば、新型コロナウイルス感染症に対する、日本人の自粛行動は、同調圧力の結果というよりも、共通する状況認識に基づく、自発的なものと考える方が、より自然であるように思います。自発的であるので、同じ自粛であるけれど、その有り様は、個人の置かれている状況によって、実は多様であります。

現実的な個人の行動としての自粛に対して、インターネットの世界では、いわゆる同調圧力が盛んです。それは、ネットという、現実世界ではない、言葉による抽象的な環境の中では、それぞれの特殊な現実の環境や状況の把握はできないので、一律で無内容な観念的村社会の環境を作ってしまいます。そこで、そこに表現される言説は、その一律で観念的なネット村社会での同調圧力となって表現されます。けれど、これは、ネットの中のことであって、それが、現実世界での個人への同調圧力になるかといえば、実は多くの人が、現実的状況把握によって、自主的に判断し、行動している現実では、実際的な同調圧力にはなっていないというのが、本当の姿ではないでしょうか?

日本人は、同調圧力が強い、というステレオタイプの言説に惑わされず、元々日本人が本来持っている可能性が高い資質、つまり、各個人の環境認識に基づいて判断、行動するという、漁民的資質を信頼し、よりシャープにすることが、本来の日本文化の有り様を取り戻す道のひとつであるように思います。

あおやま あきら
未来投資研究所理事 SDGs JAPANポータル編集長

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