楊佳梅(ヤン・ジアメイ)著
人口2300万人の台湾は、製造大国として知られています。急速な産業化は60年代から70年代にかけて「アジアの虎」としての経済発展を推し進め、今日の台湾はテクノロジーの分野で頭角を現しています。一方、農業は未だに小さな産業で、総労働人口の約4%が従事し(半導体産業のみでも6%が従事している)、2019年時点でのGNPへの貢献は2パーセント以下です。
農業の分野は多くの課題に直面しています。台湾は地球上で最も山がちな地形を持つため、耕作面積が比較的少ないのは確かです。国の自給率は35%にすぎず、蔡英文総統は、そんな状況を何とか改善したいと言っています。これらの問題は生産の非効率性によってひきおこされましたが、果物や野菜の約40%もが市場に出る途中で失われてしまうという流通システムの悪さにも原因があります。台湾も、世界中の多くの国々のように、気候変動や石油価格の上下、さらには新型コロナウィルス感染症のパンデミックのような危機が食糧事情に及ぼす影響を痛いほどわかっており、復元力が強く持続可能な農業を構築するための多面的なアプローチを試みています。
そういった動きの推進力となっているのは、2018年に台湾行政院農業委員会農糧署 署長に就任した胡 忠一博士です。1958年、台南市の西に位置する緑豊かな地域の敬虔なキリスト教徒の家庭に生まれ、幼い頃の一番の思い出は、その地方名産の、美味しくて豊富にあるトロピカルフルーツを食べたていたことだそうです。彼は大変優秀な学生で、台湾大学の4回生だった時に公務員試験でトップの成績を収め、政治家としての道を歩み始めました。その後大学院に進学、台湾省政府農林庁 そして行政院農業委員会 へと進みました。同委員会の対日本担当者が退職した後も日本との強いつながりを維持するため、農業委員会は彼が東京大学で農業経済学の博士課程をとることを支援しました。日本語が堪能で、台北駐日経済文化代表処の経済庁の副主任を務め、最近では日本を台湾の農産物の重要な輸出市場にするべく色々な働きかけをされています。
楊佳梅が、胡署長に最近の農糧署の取り組みについて、また、農業経済、土地、そして人々が共存し繁栄するためにはどうしたらいいのか(これはSDGsの核となる問いでもあります)について、ご自身のお考えを聞きました。
持続性のある食料生産とは – 有機農業化の促進と透明性の向上
胡署長にとって、有機農業は未来への道です。それは持続可能な食料供給の要であるだけでなく、国内産の農作物に対する消費者の信頼感を築き上げるために重要なことです。2018年に台湾政府は有機農業促進法を可決し、環境に配慮した農業と持続可能な資源利用が、健全な水と土壌、生態系、生物多様性を維持し、動物保護と消費者の権利を守るために不可欠であると規定しました。農業委員会はその実践を促進するため、有機農業へ切り替えた農家に助成金を出しています。2020年後半の時点で、有機農業をしているのは全体の耕地面積の1.9%に過ぎず(有機認証を受けた農場は1万ヘクタールを少し超えたのみ)、まだこれからですが、このような施策は台湾が正しい方向に進むのに役立っています。さらに、生産者が海外の市場に生産品を障壁なく輸出できるように、台湾は日本、オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、そしてアメリカとの間で有機食品の同等性を認める協定を締結しています。国際的な有機認証システムへの参加によって、ビジネスの機会はこの先もっと伸びることになるでしょう。
台湾の農業産物の出所の透明性の向上と消費者を守ることは胡署長にとって優先順位が高く、農業委員会は産履歴農産マーク (TAP)の普及に努めてきました。日本のやり方を参考に2000年後半に作られた台湾良好農業規範 (TGAP)の基準を満たす生産者は、特別なラベルを貼ることができます。消費者は、TAP登録された食品のQRコードをスキャンするだけで、それがどこからきたものかを知ることができます。総合的なTGAPの基準は、食品の安全性、追跡性、収穫と収穫後の衛生面への配慮、継続可能な生産方法への取り組み方、など様々な要素を網羅しています。政府はこのプロジェクトを広めていく段階にあり、その展開のひとつとして、TAP認証を受けた食材を取り扱うレストランや店舗に対して報酬を出しています。このような努力は実りつつあり、2016年から2020年の間に認証を受けた生産者は倍以上になり、農産物の需要は3倍近くに増加しました。
台湾の穀物蔵事情と自給自足のための革新的なアプローチ
農産物を世界中に安価で迅速に輸送することが可能になったことで国際貿易が盛んになりましたが、反面、大きなマイナス点ももたらしました。胡署長が特に懸念しているのは、台湾の食物自給率が35%しかなく、しかも台湾で売られている穀物の99%が海外からの輸入に頼っているという衝撃的な事実です。このため、移動の過程で莫大な二酸化炭素が排出され、長距離輸送に耐えるため、農作物には添加物が加えられます。農業委員会は2016年に「大糧倉計画」 を立ち上げ、農家に作物の多様化を促すことで国産の作物が輸入作物にとって代わるようにしています。その一つの方法として、既存の農作物の作り方を踏襲しつつ、その効率を上げられるようにしました。例えば、収穫の少ない二毛作に慣れている農家には、収穫量の多い、違う種類の穀物を育てるようにアドバイスします。その際、できるだけ有機農業を受け入れるよう、そして同時にTAP認証も取得するように勧めます。輸入大豆の90%は遺伝子組み替え作物(GMO)ですが、増えつつある台湾の賢い消費者たちが、GMO でなく高品質で、カーボン・フットプリントの少ない地元産のものを選びはじめることを胡署長は望んでいます。
胡署長は、作物の多様化は予期しなかった効果をもたらしたと見ています。2018年、台湾政府の農糧署は、台北市近郊の桃園区農業改良場と共同で、大豆と(生産過多である)米を交互に育てる試験的なプロジェクトを開始しました。このように、湿乾作物を交互に輪作することで貴重な水資源を節約できるだけでなく、害虫や病気のリスクを軽減することができます。この施策のように農薬と肥料の使用量削減と計画した輪作の導入を組み合わせることで農家の収入は増え、農業全体が逆境に強くなれることが証明されています。
日本の影響 – 低温流通体系とファーマーズマーケット
日本で博士課程を勉強した胡署長は、日本の品質管理の方法と食品廃棄物への取り組みに感銘を受けました。例えば、日本のしっかりと確立された低温流通体系です。日本の冷蔵トラックは、収穫されたばかりの農産物を30分以内に的確に冷却することで安全性と品質を保証し、食品ロスを最小限に抑えています。また、生産者から消費者への直送を可能にする必要があるとも指摘しています。例えば、日本の生花市場では、ほぼ100%の商品がネットオークションで事前に落札されており(ほぼ6割の農産物もこの方法で落札)、この効率的なやり方は供給過剰を防ぐと同時に、輸送費や梱包費の節約にもつながっています。現在、台湾は農業における低温流通体系を効率良く使うことを最優先課題としており、今年、そのための資金が行政院予算の一部として計上されたことは喜ばしいことです。農家の所得が増えるだけでなく、農産物の品質向上や世界市場での競争力アップも期待できます。
日本ではファーマーズマーケットが盛んになってきていますが、台湾もこれに倣うべきだと胡署長は提案しています。台湾は地球上で最も人口密度の高い国の一つなので、生産地がすなわち消費地でもあります。消費者の「地元志向」がすすめば、輸送費や食品が傷んでしまうことによる不要なコストを取り除くことができます。さらに、畑から食卓までの道のりは、これまで以上に透明性をもっています。顧客との距離が短くなり、評判が大切になるため、農家の人々は自分の作物に農薬を散布しているところを目撃されるなんて夢にも思わないだろう、と胡署長は冗談混じりに語ります。しかし、このような流通のあり方は、他にも重要な、経済面以外のメリットをもたらしています。
台湾には現在、13箇所のファーマーズマーケット、35箇所の「道の駅」スタイルの地元特産品店、55箇所の地方協同組合などがあり、その数は増えています。都市部では、これらの店が大手のスーパーと提携することで、地元産の野菜や果物の購入が手軽にできるようにしている例もあります。
台湾と日本 – 学校給食を通じて培う親近感
台湾と日本に共通した歴史を考えると、両国はもっと協力できるのではないかと胡署長は指摘します。台湾にはあるが日本にないものとして、バナナを含むトロピカルフルーツの生産があげられます。しかし、フィリピンなどから安いバナナが輸入されるため、台湾産バナナの市場は限られているようでした。そこで彼は、日本の学校を対象に、異文化交流の一環として紹介するキャンペーンをしたらどうか?と思いつき、ユニークなアプローチをとることにしました。現在、富山県、静岡県、茨城県、三重県の小学校では、台湾産のバナナが給食によく登場します。子どもたちは、食を通して日本と台湾の歴史、地理、文化について学び、同じような島国の小規模農家が抱える似通った問題、例えば農業生産量の多い国との競争や地球温暖化問題への対応などについて話し合います。将来的には、中秋節に欠かせない、台湾を代表する果物、文旦を子どもたちにも紹介したいそうです。このように、単にコストを抑えるのではなく、付加価値をつけることで複数の問題を解決するように考えられた対処法は、SDGsを推進するためのより効果的な方法であることは間違いないでしょう。
安心感を届ける – パンデミック下でも地元の農産物に手が届くように
新型コロナウィルス感染症のパンデミックは、人々の買い物の仕方を変えてしまいました。ウィルスに対して脆い人々は、日用品の買い物をしに外に出かけることを完全に避け、評判の良い配送サービスに頼って自宅まで配達してもらっています。胡署長は、公衆衛生が危機に晒される中で、身体に良く安全な地元の農産物を人々が買えることがこれまで以上に重要であることを認識していました。農糧署は、桃園市農会、禾璞青果生産販売協同組合、宅配サービス「foodpanda」と協力して、有機農産物を人々の手元に届けられるようにしました。果物や野菜は、料理の手間がかからないように前もって加工されており、ちょうど良い量で手元に届くため、台所から出るゴミを最小限に抑えることができ、パンデミックが収まった後でも、忙しい都市部の通勤者にとっては魅力的であり続ける解決法となりました。
台湾茶の新しい価値を創造する
山がちな地形と湿度の高い気候をもつ台湾では、世界でも最高級のお茶を生産しています。台湾独自のお茶文化を広めるため、農糧署は2014年に「亮点茶荘(www.utee.tw)」という茶農園連合を設立し、台湾で最も優れた茶農園をミシュランのような形式でランク付けしています。また、新規の茶農家に対し、生産、加工、販売のプロセスについて指導し、地域に根ざした文化的な体験の提供、ツーリズム、ブランディング、パッケージングなどを通じて付加価値を高める方法をアドバイスしています。2020年現在、33の茶園がこのプロジェクトに参加しています。胡署長は様々なメディアの力を使って台湾の若者が新しいお茶の飲み方を工夫できるように、また、国内外の旅行者がお茶に関心を持ち、茶農園を訪れてみたいと思うようにアピールしています。昨年は「台湾名茶旅トップ10」のデザインコンペや短編映画祭を開催しました。今後は、台湾産の米や果物を使った酒についても同様のキャンペーンを行い、すべての農産物の価値を高めたいということです。
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インタビューの最後に胡署長は、農糧署の仕事は、食料生産と価格の安定を確保し、生産物の安全性と品質を保証することだと強調されました。彼がここ数年提唱してきた政策を見ると、ずっと先の将来にわたって健康的で持続可能な社会をつくりあげるためには農業が重要な役割を担っていると思っていらっしゃることは明らかです。これらの先駆的な施策が、今後どのように進展し、台湾の農家にとってどんな新しい機会が訪れるのか、期待したいと思います。