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世界的な建築家である石上純也氏の展覧会を徳島県が中止させた―公権力による言論統制ではないかとの批判が高まっている

徳島県庁

 

 

<経緯>

徳島県には県民の長年にわたる悲願とも言える1,500席を超える本格的な音楽ホールがない。例えば、全日本吹奏楽コンクール徳島大会を隣県で開催せざるを得ない、といったような悲しい状況が現在も続いている。

それは何故か?

この徳島県の新ホール問題については過去の記事で指摘した通りである。

https://japan-sdgs.or.jp/news/6330.html

 

実は、県民待望の本格的新ホールの実現は、計画通りに進行していれば今年2026年中に開館予定と、間近に迫っていた。2021年に世界的に知名度の高い建築家である石上純也氏を中心とした共同企業体JVと県との間で正式契約された石上純也氏らが設計した徳島県の新ホール案(従来案)は、実施設計が完了し、あとは工事を開始するだけという段階になっていた。

ところがその後、2023年にホールの見直しを訴えた後藤田氏が知事に就任し、この従来案をストップ。

しかし、「工事費と工期を半分に抑える」と公約しながら、現状の「後藤田案」は、座席数を減らし、工事費は下がらず、いまだ設計にも着手できていない状況である。

しかし、我々は今回「ホールの案の良し悪し」を議論したいのではない。

この徳島県立新ホールに関連して、この6月に起きたある一つの出来事が持つ重大な意味をはっきりとさせたい。そこに見られた、権力の都合一つで、国民として保障されるべき当然の権利が脅かされている――この異常な現状に、我々は強い危機感を抱いている。

 

<今回の問題の経緯>

今回問題となっているのは、6月1日より開催予定だった「石上純也展覧会」が県の要請によって中止に追い込まれたことだ。

展覧会は県有地にあるにある民間倉庫「万代ふ頭第一倉庫」において、石上氏らが設計した新ホールの図面や模型などを展示する予定だった。展示会は日本建築家協会(JIA)が主催。

ところが、開催2日前に後藤田知事の了承を得て徳島県から会場である倉庫所有者へ書面で正式な中止要請があり、主催者であるJIAもこれに従わざるを得なかった。

県の担当者はその理由についてこう説明する。

「今回の展示は町づくりという観点から、和やかな雰囲気になじまない」

「県有地でこの企画を行うことは、(石上案とは別の案で進めている)県からの情報発信と誤解されかねない」

さらに、6月9日徳島新聞報道によれば、県の担当者は「県の要請が守られない場合は県有地の占用許可に必要な契約行為を続けることが難しくなる」との発言。

 

<後藤田知事による脅し疑惑>

一方、後藤田知事は6月5日の会見において

「建物は民間のもの。民間の方が最終的にそういうご判断をされたことに何か言うべきではない」と発言した。

これに対し、JIA徳島地域会役員の内野建築士は、6月9日に会見を開き、5月9日に突然後藤田知事が事務所を訪ねてきて「余計なことをするな。開催するならこちらも考える」と半ば脅されたと証言。

同日、後藤田知事も会見を開き事務所訪問は認めたが、発言内容は内野建築士の「勘違いでは」と否定。

 

<論点>

 

1.公権力による「表現の自由(憲法21条)」の侵害

行政の意に沿わない展示(言論・表現)に対して、公権力を使って開催を潰す行為は、憲法が保障する「表現の自由」の重大な侵害である。

JIA内野建築士による証言が本当だとすれば、後藤田知事は脅しに近い手段をとって言論統制を行ったということになる。

 

2.行政による「優越的地位の濫用」による裁量権の逸脱

展覧会会場に予定されていた倉庫所有者は県から県有地の「占用許可」を受けている立場である。6月9日の徳島新聞の報道によれば、県の担当者は「県の要請が守られない場合は、占用許可に必要な契約行為を続けることが難しくなる」と発言しており、倉庫所有者が要請に逆らえない状況を作った。

後藤田知事は「民間の判断」と言うが、実態は占用許可という行政の強い権限をちらつかせた事実上の「強制」と受け取れる。これは行政の優越的地位を濫用し、占用許可の裁量権を逸脱した不当な圧力ではないか。

 

 

<論点の解説>

 

1.公権力による「表現の自由(憲法21条)」の侵害

「表現の自由(憲法21条)」は、我々が憲法によって保障されている様々な自由の中でも特別の位置を占めている。表現の自由がなくなると、他のすべての自由もなくなるからである。それは、最高裁の判例にも「表現の自由は民主主義社会の基礎をなす重要な権利」として扱われている。

https://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~suga/hanrei/35-3.html?utm_source=chatgpt.com

最高裁判所大法廷決定(昭和44年11月26日)

取材フィルム提出命令に対する抗告棄却決定に対する特別抗告事件

 

今回の日本建築家協会主催の「石上純也展覧会」の会場所有者への県による突然の中止要請は、石上氏自身やJIAの表現の自由を、公権力をもって直接侵害している。さらに留意すべき点は、この展覧会が、県民の税金によって進められ、最終的に多額の設計費が投入される実際に建設会社が施工できる図面の完成である実施計画まで完了し、しかも県との契約関係は今も継続している、公共事業の内容を展示する展覧会であるということである。それゆえ、県民にとって一旦棚上げされているが多額の税金によって進められた新ホール計画に関する内容を詳らかに鑑賞し、知るまたとない機会である。県民には、個人としても納税者としても、それを見る権利がある。これは、先に挙げた、表現の自由が侵害されると、他の自由も侵害されることの顕著な例である。県は、表現者の自由と共に、納税者である県民の知る権利をも侵害し、その自由を侵害したことになる。

<今回の問題の経緯>に述べたように、県による展覧会開催中止要請の理由は、二つ挙げられている。
両者とも、この展覧会が、県が推進している新ホール後藤田案に対抗するための展示会であるとの認識に基づいた、極めて主観的、恣意的なものであり、展覧会開催中止を要請せざるを得ない理由には全くなっていない。2番目の「県からの情報発信と誤解されかねない」など、その恐れがあるなら、展覧会でその誤解がないよう表示するだけですむ話である。このような恣意的で理由にならない理由づけで、公権力が表現の自由を侵害できるなら、公権力は、あらゆることにその権力を恣意的に行使できることになる。

 

2.行政による「優越的地位の濫用」による裁量権の逸脱

「県の要請が守られない場合は、占用許可に必要な契約行為を続けることが難しくなる」との県の担当者による発言は、展覧会会場である倉庫所有者が、実質、要請に逆らえない状況にあったことを示している。今回の展覧会中止要請は、展覧会の内容を根拠にしたものであり、これは、実は、行政法上非常に大きな問題行為である。

「優越的地位の濫用」は、独占禁止法における条文であるが、行政法においても同様の考えが明記されている。それは、「行政指導の逸脱・濫用」である。

今回の事例は、展覧会の内容を根拠に、「土地の占用許可の取り消しという行政権限を背景に、展示をやめさせようとした」という疑いが濃厚だ。民主主義社会では、先に挙げた「表現の自由への直接的介入」と並んで、この種の間接的圧力も極力避けるべきものとしている。

後藤田知事は会場の使用の取り消しを「民間の判断」と説明している。しかし、県有地の占用許可や契約継続に関わる県担当者が、後にメディアに対して、県からの要請に応じない場合は契約継続が困難、と言及している。そして展覧会中止の根拠がその内容であることを踏まえると、この問題は行政の優越的地位を利用した、意にそぐわない展覧会開催への、不当な介入による裁量権の逸脱という重大な性格を帯びる。

以上の二つの論点は、徳島県新ホール建築計画の賛否を超えた問題である。行政が、表現の自由と県民の知る権利とに関わる展示を、曖昧な理由と許認可上の優越的立場を背景に中止へ追い込んだ疑いがある。民主主義社会において、看過できない事態である。

 

<結び>

繰り返しになるが、今回、我々はホールの案の良し悪しを議論したいのではない。

公権力の濫用によって表現の自由が封殺され、人々の知る権利も蔑ろにされ、民主主義の根幹が脅かされているという、戦時中の言論統制を彷彿とさせるような異常な事態に対し、我々は強く警鐘を鳴らすものである。

民主主義社会における表現の自由の意義: 権力者に対する異論や批判的な表現こそが守られなければならない。

行政の都合で不都合な表現を封じ込めるような振る舞いは、民主主義社会において断じて許されない。現在の徳島県政は「あり得ない状況」に陥っており、県民やメディアによる厳しい監視が必要である。

 

 

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