【第4回 FSRI 質疑応答】「揚げ浜塩田:海と陸を結ぶ地方創生」
令和3年度第2回分科会
講師 中巳出理 (Nakamide) 株式会社Ante代表取締役
総括 田中愛子 (Aiko) FSRI (フードスタディーズ研究会)代表
司会 青山あきら (Akira) 一般社団法人未来投資研究所理事
主催 青山アリア (Aria) 同研究所理事
質疑応答時のゲスト 稲垣渉(Inagaki)金沢工業大学教授、一般社団法人地域創生マネジメントいしかわ代表理事
原嶋亮輔(Harashima)root design office 代表、金沢市工芸ディレクター
山本佳誌枝(Yamamoto)公益財団法人山本能楽堂事務局長
質疑応答
Akira
中巳出さんに塩を中心としたSDGsの取り組みに関する講演をしていただいたのですけど、今回特徴的なのは、伝統技法を使った塩作りと持続可能性と地方創生を結びつけているエコデザインを一つの会社として活動されていると言うことで大変興味深くお話を伺いました。
Aria
SDGsに関して各地方で行われている取り組みを直接的に政府に届けること、そしてそれを地方創生につなげるということは非常に重要です。そのために4年前に政府が発足させたのが、内閣府の官民連携プラットフォームになります。このプラットフォームで実際に発表されたものは、政府の方々も非常に細かく読んでくださって、そしてフィードバックしていただけるような仕組みになっていますので、本日のような機会を十分に生かして、そしてここでお話しする内容というのが、実際声になって行くということをご理解いただいた上で、ぜひいろいろなお話を今日できればと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
Akira
まず、田中愛子先生に食という観点から、この塩によるエコシステム、エコデザイン、それの発展ということなどについて、お話しをお願いします。
Aiko
中巳出さん今日はありがとうございました。中巳出さんとお会いして1年にもならないのですけれども、同世代でもあり、色んな接点がありまして、今とても仲のよい、貴重な人生を通じたお友だちに感じています。
能登は自然環境が厳しいということで、バブル期においてもあまり手が入っていない、自然のまま残されていること、それから千枚田と言われている棚田もありまして、能登の農業遺産、世界の農業遺産というところに指定されています。
その環境から見ても、その塩作りというものが、生き残ったのはなぜかというのは、奇跡的な流れがありまして、前田藩が歴史的に非常に力を入れて、そして塩が今も残っているということです。
塩というのは、日本人にとってかけがいのないものですし、山の多い日本では、塩飢饉もたくさん起こっています。その中で、前田の殿様が、能登を守ってですね、揚げ浜式を残したということは、素晴らしい私たちの財産でもありますし、世界に伝えていきたいと思って、今年(2022年)の10月に世界のフードスタディーズ学会で発表させていただくことになっています。
食の面から見るということですけど、日本人の食は、醤油とか、味噌とかの中にお塩を入れた調味料が根本になっています。これが何かというと、日本という国のそのあり方から行くと、75%が山で構成されているところですので、山に住んでいる人がたくさんいらっしゃるわけです。山に住んでいて何が一番怖いかというと、塩がないことなのです。なので、田舎に行けば行くほど、味噌作りと醤油作りをして、それで塩分を守っていく。
それから能登の塩と言うのは、ミネラル分がすごく高くて、そして大変旨味があります。私は能登訪問の時シェフも連れてきましたが、シェフがやはり中巳出さんのナチュラルの塩を入れますと、ミネラルが働いて非常に美味しい、ケーキに入れても美味しい、それから、もちろんお料理に入れても美味しいと。私もそう思っていまして、ずっと彼女の塩を使っていますけれど、この旨味と言うものを昆布と合わせると非常によくできてくると。このミネラル分がどう蓄えられていくかと言うときに、塩田の塩は溶けやすいということがありますね、空気にあたると。
ヨーロッパにあります塩は、溶けにくい、岩塩ですから。ですから、魚にふって、干物にしたり、漬物にして、日本人の知恵としてミネラル分を漬物にとか、保存食に塩を利用してきたと言うすごい知恵がありまして、それは特にこの能登の塩田の塩の、日本海の荒波で作られた塩と瀬戸内で作られた塩のキメが全然違いますので、これは北陸のあたりで広がっています、発酵文化とそれから保存食文化にも非常につながって豊かな食文化が広がる一つの要素だったと思っています。
そんな感じでみなさまのお話をお聞きできたらと思います。
Nakamide
日本は島国で、各地で塩は作られてきたのですが、1905年に日本国が専売制を設けて、塩業の近代化臨時措置法と言うことで、どんどんどんどん天然の塩作りを廃止して行って、最終的には100%もう作ってはいけない、1959年、第3次塩業整備、塩業近代化臨時措置法によって、日本中から全部塩田が消えてしまって、先生のおっしゃる通り、ミネラル豊富な塩がなくなってしまって、塩化ナトリウムだけのピュアな塩味だけの塩になったと。
ヨーロッパとか海外では岩塩がとっても多いのですけれども、岩塩は風味はあるのですが、どっちかというと塩の結晶なので、割と塩化ナトリウム分が多くてミネラル分、マグネシウム分とかが少ないのですよね。
海外の塩というのは、ほとんどが湖塩であったり、岩塩であったり、そしてメキシコとか温暖な地方のところでは天日干しですよね、海水を汲み上げて、天日干しにしたと。これは2017年にプラスチックが入ってるというのがわかり、そのまま海水を使ったらプラスチックが入っているので、私どもの塩作りというのは、もういっぺん煎ごうというとことで、それを全部除去して、風土からそういうふうにやらないとできなかったのですけれども、まず塩分濃度を高め、そして焚き上げるという2工程に分かれて、その中で色んな不純物を取り除いたりするということを行いながら日本人独特の感性で美味しい塩作り、不純物を取り除いてもう綺麗に仕上げながら、塩を作り上げたという塩作りの歴史を大事にしていきたいというふうにとっても思っております。
Akira
能登半島、あるいは石川県の特徴としてさっき愛子先生もおっしゃってましたけど、世界農業遺産第一号として指定され、里山里海の整備というのは、石川県がすごく力を入れていますし、サイクリングルートもあって、そういう面ですごくいいんですけれども、実際それが今どういう形で生きてるのか分からないところがあるんですけれども、稲垣先生どうなのでしょう。
Inagaki
能登フードスタディーズというのを立ち上げて、食の問題を能登から考えようということで、私は専門じゃないのですけれども、実は、今色んな食の問題を考えるときに、食の循環とかですね、あるいは、生産から流通、そして料理、消費者に見えるということが、非常に大事だろうということで、そうすると、能登にはそういうものはしっかり残っている、地産地消的なものは残っているのだと。
私として、郷土料理とかですね、能登に伝わる家庭料理とかがあるってことで、それを去年まとめて本に出したわけなんですけれども、世界農業遺産の地であることが我々にとってとても大事です。そこに何があるかというと、伝統とかですね、慣習というのがしっかり残っているということで、色々とその、農耕に関わるお祭りとか、儀式とかそのまま残ってるというわけですね。
特筆すべきなのが、「あえのこと」という、田の神様を招いてもてなすということなんですけれども、
私が思うのは、結局今、食品ロスなど色々出てきているんですけれども、やっぱり食に対する感謝という思いが消えてしまってるのが今の時代じゃないかな、というふうに思って、今後その、あえのことというのは、まさに食に対する感謝の思いというものを伝えるものであって、それがしっかり能登の地に残っているということなんですよね。
それで例えば、食品ロスのことを考える時に色んな方策を考えるのだけれども、しかしその前提が欠けていると私は思ってて、その前提が何かというと、やっぱり、食に対する感謝ですね。海の幸や山の幸に恵まれていることに対する感謝の気持ちというものがなくなっている。その前提なくして、無駄なことをやめましょうよということは、なかなかできないんじゃないかなと思って。
まず心の問題という形で食を捉えられないかなということを考えてもらって、私の中では、伝統とか関心を失うところから色んな物事をぞんざいにしてきたところがあって、その文化を守るということは、環境を守る事と同じように大切なことだと思ってるわけです。
実は、伝統とか、慣習とか、文化とかを守ろうというのが、私の方でも雑誌を発行しているのですけれども、そういう中にあるのは、やっぱり古いものを守って行くということの中に、例えば、食に関しても、心の問題というのがあるんじゃないかなということがあって、青山さんから振られた答えになってないかもしれませんけれど、能登にはやっぱり食に対する原点と言える、感謝する思いとかですね、そういうものが残っている。それは間違いなく能登の地にはそれはあると私は思っています。
Akira
伝統の問題に関して、その通りだと思うんですけれども、中巳出さんもこの前お話しした時に指摘されてましたけれども、伝統的な手法というのは、人間の肉体労働に依存するところがすごく大きいので、塩作りも大変ですよね、すごく。それを現代とどう調和させるか。
今日はせっかく原島さんに来ていただいているので、そういう意味では、伝統的な技法、あるいは伝統工芸も含めてですけれども、現代社会との関係というのは、どうなんですか?
Harashima
そうですね、お話を聞いていて、ぼくも塩田のことはもちろん存じていまして、大体のプロセスとも知っているのですけれども、今おっしゃったように、例えば、じゃあ工芸の分野においての伝統と、塩田のその方法の工法としてのプロセスを同じように捉えることは難しいとは思うんですね。ただ工業化という意味においては、例えば、作家さんにおいては、現代でも、工業的なプロセスを上手に取り込むことによって、生活工芸的ものづくりと美術工芸的なバランスをすごく上手にとって自活している作家さんという方もやっぱり中にはいらっしゃるんですね。
そういう意味においてはやっぱり伝統的なものの方策として何を残すかということを捉えながら工業としてどう栄えて行くかとか、持続性を生み出すか、というのは、ものづくりという大枠においては、今現在、求められることだとはすごく思いますね。
塩田に関しては、観光的な要素も強いと思う、やっぱりそれを見に行きたい、古いものというものの中にある良さというものを見に行きたい、という方々が能登に出かけて行ってそれを感じて、実際そのプロセスで工業化されていて、良質の塩が得られるというだけではない、そういう物語性みたいなものもとても、魅力的な一端だと思うので、やっぱりそのバランスをどのように残して行くか、というのがすごく大切なポイントなんだろうなと、工芸においてもそうですけれども。
Akira
気になるところは、中巳出さん、しんどさですよね、労働の過酷さていうか、それはどういうふうに解決なさってますか?
Nakamide
私どもは、稲垣先生がおっしゃったように、精神性というのを大事にしています。能登の塩田はもちろん加賀藩の擁護のお陰でここまで維持されてきたわけですけれども、ただ能登の人たちは海の恵みと山の恵みを生かして、それを融合させた塩作りだというふうに私は強く思っております。
それで、伝統というのは、守らなければいけない、絶対守らなければいけないことはしっかり守って、時代とともに進化しなかったら、それは観光にしか過ぎなくなります。良い塩とどれだけ言っても、出回っていかなかったらいけないわけで、生き残っていけないというか、みなさんの中に入っていかない。観光だけの塩作りであっては、伝統を守ることにはならないというふうに思っております。
それで、その人たちが生かした、海の幸をしっかり生かす。今、海の幸を生かそうと思っても、マイクロプラスチックの問題があったり、そういうことの方が大事で、それは海の幸の中から悪いものを取って、ピュアな、できるだけ能登のミネラルの豊富な海水を使いたいと。そして山を守るためには、能登の人たちの伝統的な山と海と神々に感謝するという大事な真髄であるものをしっかり残して、あとは、その時代とともに進化していかなかったらいけない、というふうに思っています。
だから例えば、観光である場合、海から手桶で担いであげるということは、もちろん観光として残るそれの昔からのやり方ですよ、というのはありますし、打桶(おちょけ)で撒くということもあると思います。でもそれだけでしたら、塩は観光でしか生き残れません。だから本来の大切な、能登の人たちがとっても大事にしてきた、精神的な、守らなければいけないというものを大切にしながら、時代とともに進化するということがとても大事なことです。それでないと、ミネラル豊富ないい塩というのが、皆様にある意味では届かない、というか、そういう塩があるということを知っていただくために、人力だけではどうしてもだめなのです。
よく言われるのですが、海水を海からかついで上げてくださいって言うのであれば、それだったらみなさん、能登まで歩いてきてくださいよと、車で来ないでくださいよと、いうような形になるので、それは私はポンプで揚げてもいいというふうに思っております。
それじゃなくて、海の幸を生かすことだ、というふうに思っております。山もみなさんそういうふうにして、本当に大事なことは何かということをちょっと見失ってしまわないように、形式だけで塩作りを見てないで、本来の海の幸に感謝し、山の幸に感謝し、それを生かして、現代に合うような塩作り、そして大地の上で作る塩、天日の中で塩を作る、人と自然と大地と海が、融合して作る塩であるべきだということを大切にしながら、進化できることは進化して行かないと、伝統としては生き残っていけないんじゃないかというふうに捉えております。
Akira
そうですね、稲垣さんがおっしゃったことと共通した一番大切なものが、見えてくるように思います。山本能楽堂の山本佳誌枝さん、このことに関して何かお話お願いできますでしょうか?
Yamamoto
今の中巳出さんのお話は私たちの伝統芸能の世界ともすごく共通するもので、本当に人力というものが、本当の昔の日本の伝統というのは、全てベースになっていて、そこがやっぱりすごく過酷であったり、しんどかったりする。でもそれはでも神様への生け贄とか代々伝わって来たから、それを継承していくという、そう言った気持ちで、気持ちがあるからこそ、それが伝えられたり、その人力の分がいくら辛くても、それを次に伝えたりということができて来たと思っています。でも今、日常生活の急激な変化とか価値観が変わって、そこがすごく分断されていることに、すごく危機が、色んなところで、もう能楽、塩田だけではなく、全ての日本のことが今すごく危機的な状況になってると思っています。それの先はもう、それをまた人力でみんなが、若い人が頑張るかというと、やっぱり頑張れないと。そこをI Tの力とか借りて、すごくそこのところを、難しいですけれども、中巳出さんがおっしゃったように、ポンプで、ということも取り入れながら、でもその精神な部分を残す、というのは本当にとても難しいことで、どうしていいのか分からないところです。
偶然なんですけど、コロナの直前に珠洲に伺って、珠洲の方にご案内していただいたことがありまして、そのときに驚いたのが、海藻の多さなんです。すごくたくさんの海藻が普通のおみやげ屋さんにも、何種類も何種類もあって。
Nakamide
海洋の調査の方によると、日本で一番海藻の種類が多いんです。これは、能登というのは、能登には川がないと。能登にある川は滝だとおっしゃられて。というのは山からすぐ、その山のミネラルが、フルボ酸等を含んだ水が、海に流れ込んで。フルボ酸というのは植物を育てる一番大切なものですよね。だからそういうものが流れ込んで、能登の海を豊かにしている海藻が育つ。で、海藻が育てば、貝類が育つわけじゃないですか、あわびであったり、サザエであったり。昆布とかじゃなくて、海藻が能登が一番豊富なのですよね。
だから海藻だけではなくて、能登には色んな山の幸も大変多い。2011年に先進国で初めて世界農業遺産に指定されたのですが、それは生物多様性ということで、色んな生物、海藻を含め、山の幸、海の幸も含め、そしてそれにまつわるゲンゴロウがいたりとか、そういうものは、まず手つかずのところにあるというものがあるわけですよね。
私どもは、伝統的なことをやって、ずっと小さい時から育ってきたのですけれども、伝統ということに対して意見を持っているのですが、これを伝えるときには、必ず時代とともに僅かなりとも進化して行かなかったら、伝統というのは伝わらない。それが連綿と受け継がれてこそ初めて伝統として光り輝くので、断ち切られたら伝統にならないと思うんです。それでそういうふうに、一番大事なのは稲垣先生が言うように能登の人たちが大事にした海の恵み、山の恵みに感謝し、それを生かすと言うことの方がとっても大事で、形や形式に囚われないで。本当はこんなことを言ったらとても、言葉に語弊があるのですけれども、その形だけを真似してて、そうしてボウボウと石油で焚いたりとかいうことも平気で行われるわけですよね、廃材でとか。
でも本来はそうであっちゃいけないというふうに。だから、伝統芸能も一緒なんですけれども、守らなければいけないことをしっかり守って、もういっぺんきちんと守らなければいけないことは何かということをしっかり見極めて、そして時代とともに進化していかなければならないと思います。
この前、愛子先生のところに行って、私、ひな祭りのお料理を食べさせていただいたのですけれども、とても感動したというのは、先生が「食卓の上のフィロソフィー」と言う本を書いておられるのですが、非常に伝統的な糸蒟蒻みたいのがあってそこにアボカドが入ってたり、それが違和感なくとっても調和して美味しい。
私はこう言うふうに進化して行ってこそだと言うふうに思っております。だからそう言う意味では、今の若い人たちに、じゃあ田舎煮を食べようと言われてもちょっと困っちゃう部分もあるわけじゃないですか。でも少しずつそう言うふうにして、やっていくことこそ、次世代に継いでいけることだと言うふうに思っております。
Akira
ありがとうございます。アリアさん、今日の能登からの発信について、日本のみならず、世界への発信、そう言う面からみて今日の話はどうでしたか?
Aria
はい、中巳出先生ありがとうございます、みなさま貴重な意見をありがとうございます。
今日色々お話を伺わせていただいた中で、非常に私に刺さったところが、過酷な労働というところだったのです。そして私、この2年近く東京におりますが、ずっと都市に住んでおりますし、海外でもパリだったり、ロンドン、そう言うところばかりで、自然を愛するもの、伝統を愛し続けるものの、その過酷な労働というところを知る機会が非常に少ない。そして、妹が能登半島に住んでいた頃、そこに行きますと、それは労働が過酷なだけじゃなく全ての環境が過酷な状況でした。
そして冬なんて耐え難いので、あまり行けないぐらいしんどいところはあったと思うんですけど、その分感謝が生まれると思うんです。そして、中巳出さんがおっしゃってたように、現代に通じるには進化し続けなければいけないと言うところで、情報に関しても、消化しやすいように、みんなが理解しやすいようにと言うものが続いてきたと思うんです。
そしてファーストペースで行ってるんですけれど、今、情報量というのは、これまでと比較にならないぐらいありまして、全てがすぐ流れて行ってしまうと言う中で、じゃあこの中で、精神性、先ほど稲垣先生がおっしゃっていたように、精神性と言うところにポイントを置くには、どのような情報発信をすればいいかと思ったときには、結局さきほどあきらさんもおっしゃってた、肉体労働と言うところと繋げるしかないのかなと言うのをつくづく最近感じております。
我々、今の現代社会だと、ほとんどが頭だけで行われてることになるような生活を送っています。そして美味しさも、これはどこからきた、と言うストーリーも、全て感じながらなんですけれども、本当の感謝と言うのは、時間を過ごして、そして汗を流して、そしてもうこれは嫌だと思うぐらい過酷な環境に置かれた時の美味しさと言うのは、他に言葉にもできなく、人に伝えるときにもものすごく大きな影響があると思うんです。
そして大きな情報量の中で、とんがった情報にするには、もうちょっと古い考えで、もう一度労働に持ってくる、そしてお金には替えれない、とよく言われますけど、結局今の時代ではなんでも買えます。お金で全て買える時代にほぼほぼなっておりますので、極端に考えますと、このお塩を手に入れたいなら、労働プラスお金をちゃんと持ってきた人たちにしか分けないと言うぐらい、そしてそれでしたら、その社長さん達も価値を理解されると思うのです。
東京で、すごく忙しい中で、やっている方々の、こんなに美味しいお塩ならば、自分で労働して、でも実際に作ってらっしゃる方々とは比較にはならないと思うんですけれども、1日なり、そう言う体験ができるのであれば、プチ過酷な労働をさせていただいて、それも消化しやすい程度じゃない労働にして、倒れるんじゃないかなって思うぐらい、そして初めて、じゃあ何グラム買う権利を渡しますと言うような、イノベーション、イノベティブなプログラムも、聞いててありなのかなと想像してしまいまして。
この守っていくにあたって、あまりにも全般的に、良いものにしてしまうと、守りきれない時代だなと言う気がするんです。そして本当に良いものというのは、一回なくなってしまうと、また再生したとしても、500年の歴史と言うのは一度途切れると、0年からになってしまうので、エクストリームな手法をとるのも、今の時代に適してるんじゃないかな、と言うことを感じまして、そう言う面で、海外からも人が来られると思うんです。やっぱりこの世界の中で、コックさん達でもミシュランの人たちでも、一回自分たちでやってみると言うのもあったら、おそらく、愛子先生の息子様もニューヨークから飛んでくるんじゃないかな?と想像してしまって。変な情報発信のまとめになってしまいましたが、今日感じたこと、そしてその美味しい塩を食べたいならば、私もその労働をしにいきたいなと思って、まことでございます。
Akira
最後に愛子先生一言お願いします。
Aiko
フードスタディーズというのは、フードヒストリーと言う学会もありまして、世界中過酷だったのです。塩だけじゃなく、日本国中、世界中、過酷だった。それを学問として、フードスタディーズとして、どのようにできてきたかと言うことをちゃんとみんなに教えていくことが大事。
この学問というか、フードスタディーズと言うのはあらゆる学際的にそういうことを伝えていく。中巳出さんが良いお話をしてくださったので、今日のみなさまのメンバーにお伝わりしたと思いますけど、それをある種、スタディーとして、今世界中がフードヒストリーすごくやっています。開拓からどうしてきたかと、それで食べ物を今もう一度見直す時期に来ました。また国際的な研修も能登に連れてきたいと思っていますのでよろしくお願いします。今日はとても有意義でした。ありがとうございます。
あきら
色々あるんですけれども、精神性や色んなこと。でもすごく希望があると思うんです。それは、美味しいものを食べると本当に感動して、これが食べたいと全員思うと思うんです。
私の娘婿が塗りをやってるんですけれども、彼がその木地を作りに山中へ行ってきて、そこの木地作りをやってる方のお母さんが作った、郷土のウドとナスの糠漬け、里芋の茎の酢漬けみたいなのをお土産に持って帰ってきたのを、今日のお昼にいただきましたが、まあなんと美味しいこと。本当に伝統的なずっと伝わってきたものの美味しさというのは、食べたらわかりますね。
だから、フードスタディーズもそうですけれども、まずそれらを食べてもらうと言うことですね。
時間になりましたので、これで散会させていただきます。今日は皆さんありがとうございました。
Nakamide
ご縁に感謝です、また能登にお越しください・・・超過酷でございますが、塩田を見ていただいたときに皆さん塩の値段の高さに、高価なのには納得していただけるということです。皆様能登でお会いしたいです。