日本を旅する時に景色と共に楽しんで欲しいアイテムとして欠かせないのが駅弁。
駅弁とは長距離列車の停車駅や列車内で売られている弁当の事で、日本各地の旅先の駅で地域の食材や郷土料理をベースに弁当箱に詰め合わせ、137年程前より多くの人に愛され続けています。*
そしてその駅弁は今、海を超え私が住んでいるフランスでも大人気で喜ばれています。
そんな駅弁のルーツを探りながら各駅弁業者のホームページを一つずつ辿ると、そこには様々なストーリーが在り、改めて駅弁文化の奥深さを知る事が出来ました。
中には創業100年を超える老舗業者が、時代の大きな変化の渦に巻き込まれながらも創業当時から受け継いだ味や伝統を守り、いつの時代に於いても変わらずにお客様が喜ぶ姿を思い浮かべながら、味の追及や開発を続け、日々真摯に真心込めて駅弁を作る姿を思うと、かつて料理人であった私は胸に込み上げてくるものがあります。
そして又一歩先の未来に目を向け、世界が(国連が)掲げるSDGsの目標に向かい、時代の最先端をゆく幾つかの企業の取り組みにも感銘を受け、フードアクティビストとしての視点からその新たな取り組みにも注目していきたいと思いました。
この素晴らしい日本独自の駅弁文化をもっと世界の人や我が国の次世代の人にも更に深く知ってもらいたいと思い、持続可能な駅弁の未来を考えながら、駅弁の歴史にも触れ、個人的に心に留まった駅弁やその弁当箱の進化についても取り上げてみたいと思います。
(*) 弁当とは持ち運び出来る容器に工夫され、主に主食のご飯に幾つかの調理法のおかずを栄養バランスや食べ合わせを考えながら、中には彩りや季節感も取り入れて詰め合わせた食べ物の事。その歴史は江戸時代より始まり、今も日本人の日常生活の一部として根付いています。
駅弁の歴史(*¹ *²)
始まり
駅弁は、諸説はあるものの、明治18年(1885年)7月16日、日本鉄道の東北線の上野駅から宇都宮駅開業に伴い、栃木県宇都宮駅前の旅館「白木屋」が駅で弁当販売を始めたのが最初であると言われている。
当時は黒胡麻を塗したおにぎり2個と沢庵2切れを竹皮でくるんだ簡素な物だった。
やがて交通機関の発達により鉄道区間が伸びて乗車時間も長くなるにつれ、列車内で食事をする様になる。
乗降者が多い駅のホームで売り子が首からお弁当を提げて売り歩く様になり、路線の拡大に伴い全国へと駅弁が広がって行った。
最初は列車内で食べる為、片手で持ち食べやすいおにぎりから始まったが、次第に副菜のおかずも増え、口に入る迄に長時間置く事もある為に、冷めても美味しく、あまり匂いが強く無く、腐敗が遅い物にと焦点を当て作られていた。その為、砂糖や酢等、防腐効果の高い調味料を多めに使用していたので、味付けはご飯のおかずに合う甘辛い煮物が多かった。
明治22年(1889)には初めて幕の内弁当(幕の内弁当とは江戸時代に歌舞伎の芝居の幕内に食べる事からその名が付いた)が姫路駅で販売され、現在のようなお弁当箱に入った幕の内弁当スタイルが確立した。
そこに駅弁三種の神器として魚料理、かまぼこ、卵焼きが入り、その他に煮物や漬物が入る豪華な内容の幕の内弁当が主流になっていく。
弁当箱の進化
地域によって駅弁は食材の味や具材等の中身への拘りだけで無く、弁当箱にも深く拘り、鉄道マニアが喜ぶ新山口駅のSL蒸気機関車型弁当や、新幹線型の弁当箱を始め、子供達に人気のピカチュウやハローキティーの弁当箱等デザインにも様々な工夫を凝らし、大人にも子供にも楽しまれる弁当箱へと進化してきた。
加熱式駅弁
昭和62年(1987)には神戸市の淡路屋という駅弁業者が日本初の加熱式駅弁「あっちっちスチーム弁当」を発売。
弁当箱に付いている紐を引いて蒸気で温める「加熱式」の容器を科学メーカーと組み共同開発した。
粒状の「生石灰」と水入りの袋が入っていて、紐を引っ張ると袋が破れて化学反応を起こし、熱と蒸気が発生して5分程置くと温かくなるという画期的なフードテックシステムの導入により、「穴子めし」駅弁を温かい状態で食べられる様になり、その後も肉類等の弁当にも使用される様になる。(*³)
SDGsへの取り組み
釜めしの容器の進化:荻野屋(*⁴)
白木屋による駅弁誕生に続き、現在も第一線で営業を続けている日本最古の駅弁業者である荻野屋は、同じ明治18年(1885)10月信州本線横川駅開業と共に創業。おにぎりやお弁当等を販売し、昭和12年パリ万国博物会にも参加。
しかし時代と共に横川駅の乗降者数が減り、4代目の女性社長が駅で毎日旅人にリサーチをし「温かくて家庭的なぬくもりがあり、見た目も楽しいお弁当」の考案に乗り出し、約4年の歳月をかけて「峠の釜めし」の完成に辿り着く。冷えた幕の内弁当が主流だった時代に益子焼きの釜型の器を開発した事で保温性に優れた「峠の釜めし」という独創的な駅弁を創り出す事に成功し、全国にその名を馳せる様になる。
そして近年ではSDGs達成に向けて会社全体で熱心に取り組み、この器の空き釜の再利用レシピもホームページに掲載。
又、陶器が持ち運びに重いという声に答え、環境に優しい産業廃棄物とされるサトウキビの絞りかすや竹の子の皮を原料としたパルプモールド容器を元来の釜めしの釜型に見立て開発し、2013年に「GOOD DESIGN賞」を受賞。
その他釜めしをモチーフに幼児向け食の知育アプリも出店し、サステナブルで持続可能な社会へ企業全体で取り組み、温故知新を体現するこの企業に今後も目が離せない。
自然分解容器の駅弁:アベ鳥取堂
山陰鳥取のカニ飯の駅弁は上質の蟹味噌等食材や味への拘りはもちろんの事だが、それだけでは無く蟹の形をした弁当箱は材質への拘りを持った日本初の自然分解容器を使用。
それは部分分解樹脂の材質で作られた容器で焼却時にダイオキシンを発生することなく、自然環境下で微生物に分解される環境に優しい容器で正にサステナブルな取り組みであるのが嬉しい。
そしてこのアベ鳥取堂の商品でもう1つ注目したいのが、ゲゲゲの鬼太郎弁当! 鳥取牛の時雨煮を味わいながら食べ終わると、有田焼のお茶碗の底に鬼太郎のキャラクターが描かれていて、そのシリーズをコレクションするファンも大勢居る為、現在は器の再生産の為に販売を一時休止中との事。どのキャラクターに出会えるのか再販されるのが待ち遠しい。
人権擁護の標語の駅弁:一文字屋(*⁵)
更に注目した駅弁はユニバーサルデザインを取り入れている松江百年の一文字屋の駅弁。創業120年の歴史の中で絶えずに受け継がれてきた『安心しておいしく召し上がって戴く為』の努力と、更に地球環境を守る為『食のリサイクルを実行』というスローガンを掲げている。
弁当作成時に発生する食品の残さを⇒エコシステムに搬送し⇒有機質堆肥となり⇒それにより牧場で育てられた出来る限り農薬や化学薬品を使用しない野菜を利用⇒安全な食品を提供という食のリサイクルがしっかり構築されている。
又、そればかりでなく、ユニバーサルデザインの弁当容器は「年齢や性別、身体能力、国籍や文化など人々の様々な特性や違いを超えて、全ての人に配慮」という理念を基に、視覚障害を持った方にも情報が伝わる点字表示もあり、身体に優しいばかりでなく、皆が共に味わえるさり気ないやさしさがそこにある。
五感で楽しむ駅弁(*⁶)
個人的に気になる駅弁は松坂駅のモー太郎弁当。松坂牛が敷き詰められたお弁当を味わいたいのはもちろんの事、この五感で楽しむ駅弁というキャッチフレーズに既に興味津々である。
味覚や臭覚を刺激するだけでなく、牛の顔型のお弁当箱を開けた途端メロディーが流れ、聴覚迄も満たされる松坂の駅弁を是非味わってみたいと思う。
この様に進化した駅弁のお弁当箱他まだまだ会社の歴史と共に紹介したい駅弁があるのだが、逆に残念ながら長い歴史を歩みながらも、後継者問題や時代の流れで存続出来ない会社があるのも現状だ。広島駅弁業者の社長さんは自分の管轄エリアだけでなく、今は亡き福岡駅弁の社長さんから託された継承の思いを引き継ぎ、いつか福岡駅弁を復活したいという思いを大切に抱いているとの記事を目にした。そんな日本の昔ながらの人情で人と人が支え合えるならどんなに良い社会が再生構築されるだろうか?段々と薄れて来た人の繋がりを、駅弁を通して紡いで行って欲しいと切に願う。
フランスでの駅弁
日本人による駅弁
冒頭でも触れた通りフランスでも駅弁はとても人気で、パリのリオン駅では販売当初は2016年3月から2か月の期間限定でJR東日本と日本レストランエンタプライズと駅弁業者5社が共同実施した7種類の弁当を販売し、開店早々1日200食の駅弁が完売する程人気を博した。
その後2018年に秋田の大館市にある創業120周年の老舗の駅弁会社の鶏飯は「EKIBEN TORIMESHI BENTO」としてフランスで起業して確立。
日本の秋田米にフランス産の鶏や、味付けにバジルを使用する等、味に工夫を施して現地の人達に人気。
こちらの社長さんが地元の小学校を訪問し秋田にも世界に誇れるもの があると伝えたい!と語り、世界で挑戦を続ける姿を次世代の子供達に見せたいという思いが素晴らしいと思いました。(*⁷)
フランス人による駅弁
他にも日本在住経験のあるフランス人女性が留学時代にホストファミリーに食べさせてもらっていた日本のお母さんの味を伝えたいと始めた駅弁屋「小江戸へどうぞ」が2015年2月にパリ郊外のイシー・ヴァル・ド・セーヌ駅のホーム上に開店。電車からホームを降りた途端、駅構内に暖簾のある弁当屋が瞬時に目に入り、嬉しくてパリに行くとつい足を運びたくなります。
そのフランス人マダムよりお客さんより要望があるのでL’atlier de bento(お弁当教室)を代わりにやってくれないかと依頼を受けアトリエ(お弁当の制作現場)を訪ねた事があります。
日本女性達がアトリエで純和風弁当に拘って大切に作り、近隣の企業のビジネスマンに人気となり、駅弁という珍しい日本文化からヘルシーな和食として根強いファンが多いです。
終わりに
私は今迄アメリカ、シンガポール、フランスと移住し、海外で暮らしながら色々な国で味わったストリートフード(屋台)やポータブルフード(携帯食)を味わって来ました。
それぞれの国のポータブルフードは通常その国のスタンダードな料理が主流で、どの地域で食べてもそんなに大きく味が変わる事はありません。
例えばアメリカのホットドックやフランスのサンドイッチパリジャン(フランスパンにバターとハムというシンプルなサンドイッチ)は全国どこでも変わらない味わいです。
それに比べて日本の駅弁はその土地の風土や歴史的な背景を基に、特産品を使った郷土料理の伝承でもあり、各地で違う味わいを楽しむ事が出来る素晴らしい携帯食です。
この記事を書くにあたり、各駅弁業者のホームページを開きながら、それぞれのストーリーに胸が熱くなり、日本の古き良き時代のスピリッツを感じ、海外暮らしの長い私は日本人として誇らしく思い、色々な事を学ばせて頂きました。
中には歴代パッケージが掲載されていたり、創業当時の軌跡写真もあり、駅弁を食べる前にその会社のホームページを覗き、味の拘りやその駅弁の歴史に触れてみると更に味わい深くなるのではないでしょうか? 国内外問わず多くの人に駅弁をその場に足を運んで楽しんで頂きたいし、私も改めて日本国内をゆっくりと駅弁と共に旅したくなりました。
この記事を読まれた方でサステナブルの未来について、何か違った観点での駅弁をご存じの方、又、この日本の食文化の継承として駅弁文化を大切に次世代に受け継いでいく為に必要な事は何か?等、様々な角度からの良いアドバイスや知恵等を教え頂き、それを皆さんでシェア出来たら嬉しく思います。
檀崎真由美プロフィール
フランスボルドー在住料理家 / 料理教室 Dans La Cuisine (ダン・ラ・キュイジーヌ)主宰。
La société MT GESTION CLINAIRE 共同代表
プラネタリーフードエデュケーションネットワーク副代表。
シンガポール食のマーケティング会社Alchemist.Pte.Ltdコーポーレートシェフ
短大卒業後、池坊お茶の水学院専科料理コースで2年学び同学院料理教室に就職。
仏料理店シェ松尾で5年間研鑽を積み独立。大手起業のパーティー料理等も手掛ける。
池袋コミュニティーカレッジや高輪他クッキングスタジオでの料理教室が、プロの技術を家庭で作り易くアレンジし、美味しくてお洒落と評判になる。
移住先のアメリカ、シンガポール、フランスで依頼を受け料理教室を開講。海外生活の経験と自身の感性を織り混ぜ、ワンランク上のレシピを企業にも考案。
現在ボルドーを中心に料理教室を行いながら、オンラインレッスンを世界各地に向けて開催中。海外の人に和食のクラスを英語とフランス語で行っている。
Instagram : mayumi_bdx / Instagram : asiacuisine_mayumi
Homepage: https://www.danslacuisine-mami.com
参考サイト
1.https://kome-academy.com/bento_library/column/column02.html
2.https://www.wikiwand.com/ja/%E9%A7%85%E5%BC%81#/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91
3. https://www.awajiya.co.jp/bento/
4. https://www.oginoya.co.jp/tougenokamameshi/sdgs/
5. https://ichimonjiya.jp/universal_box
6. https://www.ekiben-aratake.com/item/motarou/
7. https://parishanazen.fr/index_jp.html