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平田オリザ氏 「演劇を通じた持続可能な社会を目指して」-その4- 豊岡

平田オリザ氏(H)へのインタビュー         聞き手: あおやまあきら(A)※未来投資研究所 理事

〈-その1-〉 演劇の楽しさ

  •    演劇の起源
  •    話し合いのディシプリン
  •    劇場というシステム
  •    空間を共有する楽しさ
  •    他者を演じる

〈-その2-〉 始動

  •    東京駒場商店街
  •    演劇活動の開始
  •    演劇の言語に対する違和感
  •    固有性と普遍性

〈-その3-〉 社会の中で

  •    劇場経営
  •    劇場の役割
  •    地方とのつながり
  •    演劇を作る劇場

〈-その4-〉 豊岡

  •    市長との出会い
  •    豊岡に文化を
  •    演劇教育
  •    国際観光芸術専門職大学
  •    劇団ごと移住

〈-その5-〉 教育と地域社会

  •    世界都市
  •    演劇教育は世界標準
  •    演劇教育を通して学んでほしいこと
  •    ステイホームとは
  •    弱者のいない災害

(4)豊岡

市長との出会い

A:若い人たちの先生である平田先生が、ご自身でやっておられるのが、兵庫県にある豊岡での活動だと思うんですけれども、豊岡には、劇場だけでなくて、移住されていますよね。

H:はい、はい。

A:どういうことで、豊岡に。

H:えっと、元々ですね、2010年ぐらいだったと思うんですけど、城崎温泉は、ご存知だと思いますが、そこの端っこに、城崎大会議館という、全く使われてないコンベンションセンターがあったんです。千人収容の。これが、県立の施設だったんですけれども、豊岡市に払い下げられることになったんです。で、市長が、潰して、駐車場にするかって言ってたんですが、急に思いついて、劇団とか、ダンスのカンパニーに貸したらどうか、と急に言い出したらしいのです。

その時に、たまたま私、全然関係ない講演会で豊岡を訪れていて、担当者から、市長がこう言ってるんでちょっと見てくださいと。で、施設を案内されて、その施設自体、ほんとに、もう、すごいダサい建物だったんですけど、城崎の街並みは非常に美しかったです。で、ご縁があって、そこの、リニューアルの諮問委員会の座長になった。で、市長は非常に勉強熱心な方で、僕に依頼をするということが決まって以降、僕の本をほとんど読まれて、で、どうも、豊岡も、ご多分にもれず、人口減少に悩んでたんですけれども、で、なんか、こう、足りないものがあると、思っていたらしいんですね。

豊岡ってのは、コウノトリの再生で有名になった街で、で、コウノトリを再生する過程で、コウノトリ、完全肉食なんで、田んぼに、フナやドジョウがいないと、生きられない。そこで、あの、農家を説得して、無農薬の田んぼを増やしていって、で、そこでできた お米を、「コウノトリ育むお米」と言ってブランド化しています。すごい高い値段で売れているんです。香港やサンフランシスコでは、1キロ2000円ぐらいで売っている、超ブランド米なんです。これを彼らは、環境と経済の両立と呼んでるんです。それも、成功した。でも、何か足りない。若者たちは、戻ってこない。

©西山 円茄

豊岡に文化を

H:その時に、僕が書いたいくつかの文章に触れて、どうも足りないのは、文化なんだと。で、要するに、若者たちが戻ってこないのは、雇用がないから戻ってこないんではなくって、面白くないから、戻ってこないんだ。だから、面白い街を作ろう、帰ってきたくなる街を作ろう、ワクワクする街を作ろうっていうことを、市長が急に、僕に勝手に感化されて、言い出したんです。それで、城崎国際アートセンターという、世界最大規模のレジデンス施設ができまして、25人までいっぺんに泊まれるんですけども。で、それが、蓋を開けたら、世界中から、毎年100件以上の申込みが、二十数か国から、申し込みが、その中から15団体ぐらい選んで、使っていただくんです。で、そっからどんどんどんどん世界的な作品が生まれてきますし、世界中のアーティストが来るようになる。

で、これ、たまたま運のいいことに、城崎温泉が、その同じ開館からの5年で、インバウンドが40倍になったんです。で、これは別に、全くの、偶然なんです。なんですけど、その、国際化のシンボルとして、アートセンターっていうのが、つまり、イメージ戦力として、使っていただいた。アーティストが、普通に温泉街を歩いている街、っていうのが、非常に、城崎の方にとっても誇りになったということです。

演劇教育

H:で、その後に、これもたまたまなんですけど、そういうアートセンターができると言っても、準備の方は何だかわからないので、例えば、滞在アーティストは必ずワークショップとかしていただくんですけど、僕が、そのモデルケースとして、城崎小学校で、ちょっと、授業をしたんです。演劇的手法を使って。で、それを、たまたま教育長が見にきていて。教育長もやっぱり、なんか足りないと思ってて、豊岡の教育改革で、やっぱり、これだと思ったらしくて、ま、すぐにですね、3年間で、これを全校実施したい。演劇教育を、豊岡の全ての小学校と中学校に入れたいという。で、アドバイザーになって、今では、もう、豊岡市内の38の全ての小中学校で、演劇教育は、取り入れられている。

国際観光芸術専門職大学

H:そうこうするうちに、今度は、市長が、どうも、専門職大学という新しい制度ができるらしい。で、これならば、誘致できるかもしれない。豊岡を中心にした但馬地区というのは、人口16万人なんですが、面積は、東京都と同じ面積を持ってるんです。で、そこに4年制大学がひとつもなかったんです。大学誘致は、悲願だったんですけど、今時普通の大学なんか、やっても、ダメなので。で、これなら行けるかもしれないって。ま、城崎があるんで、観光だと思うんだけれど、って、相談受けたんです。で、観光だけだとちょっと弱いので、文化観光というジャンルがあるので、アートと観光でいけば、あの、これからは、今までは、中国を中心に東アジア人の方達が、富を持って、莫大な中間層が生まれて、その方達が、初めての海外旅行先として、日本を選んでくださったけれども、2回目、3回目に来てもらうには、富士山何度も見たいって思う人はいないでしょうと。

それはやっぱり、文化的なものとか、その、あとは、ま、その、コト消費ですよね、なんかの体験とか、じゃないと、これは、リピーター来ないので。文化観光のジャンルが確実に伸びるから、ま、それを中心とした大学にしたらどうですか、と。で、日本で、今のところ、演劇やダンスの実技が本格的に学べる国公立の大学はないので、もし、それができるんだったら、私、移住してきますよ、って、言っちゃったんですよ。そうしたら、市長が、県知事に掛け合って、ほんとに、あっという間に、話がまとまったんです。

劇団ごと移住

H:それで、僕は、副学長ぐらいにしておいてくれって言ったんですけど、知事から、お前が学長になるなら、県立大学を開学するという、ま、条件にされたので。学長だと、やっぱ、どうしてもいなくてはならない。ま、私が、ここに引っ越すからには、劇団も引っ越さなきゃいけないということで、市長に相談したら、1市5町が合併した広い市なので、昔の日高町というところの町役場が、今度空くと。商工会議所が使ってたんです。空くので、そこをちょっと改修して劇場にしたらどうか、と言われて、まあ、今回、その、劇場を作った、という経緯、その順番です。順番的には。

A:市長が、素晴らしいですね。

H:あのー、ですからね、私にインタビューするより、市長にインタビューされた方がいいですよ。

A:そうですね。今度は、市長にインタビューしにいこうと思います。

H:ぜひ、日本で、今一番プレゼンのうまい市長です。

A:そういうふうに、いい偶然、偶然じゃないとも言えますけど、出会いがあるというのは、元々そういうものを持った人たちがいるということが前提であると思うんですけども、

H:そうです。

A:この豊岡の動きは、おそらくすごく発展すると思います。で、豊岡では、演劇、観光ということなんですけど、他の地方でも、東北や、山陰の方とか、いろんなところで、音楽だとか、絵画だとか、他のいろんな、芸術、文化的なこと、あるいは、スポーツでもいいですし、そういうものが、地方で、どんどんできればいいですね。

H:そうです。

〈-その5-へつづく〉

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