ユネスコ世界無形遺産である能楽により「水や森を大切にする気持ち」を持って、
世界を一つにつなげ、次代へと「美しく豊かな水や森」を伝えていきたい。
今回のSDGs Japan Portalのインタビューは、「Noh for SDGs」を掲げて、新作能『水の輪』『オルフェウス~森の豊かさを子ども達と一緒に守り、育てる』の公演を中心に、文化の力で持続可能な社会の実現をめざされている公益財団法人山本能楽堂のCOO(運営責任者)ともいうべき山本佳誌枝さんに登場していただきます。
―その3―では、「水都大阪2009」での初演以来10年以上にわたって山本能楽堂の持続可能な社会づくり(SDGs)活動の核となっている新作能『水の輪』の制作にあたって、込められている熱い思いをお伺いしました。
室町時代から変わることのない日本人の美意識・価値観を
そのまま受け継ぐ能楽を通して持続可能な社会づくりを
編集部:2008年(平成20年)に能楽がユネスコ世界無形文化財に指定されるなど、『水の輪』を制作された頃は能楽の世界は大いに盛り上がっていたのではないでしょうか。そこで、『水の輪』の詳しいお話をお伺いする前に、能楽について分かりやすく解説していただけないでしょうか?
山本:ご存じのように、能楽は申楽などから発展し、観阿弥(かんあみ)と世阿弥(ぜあみ)という親子によって700年ほど前の室町時代に大成されたといわれています。“初心忘るべからず”“秘すれば花”などの名言で知られる『風姿花伝書(ふうしかでんしょ)』という能の指南書は世阿弥によって17年もの歳月をかけて著されました。今でも、芸能指南書としてはもちろん人生訓の名著として、たくさんの人たち(宇宙飛行士の野口聡一さんも座右の書とされていると聞きます)に読み継がれていますね。これは余談ですが、『風姿花伝書』には、能楽の起源は聖徳太子の時代に臣下の秦河勝(はたのかわかつ)によってもたらされたと書かれていますから、それに従えば、1300年の歴史を持つ芸能だといえます。
能楽は、“引き算の芸能”あるいは“想像の芸能”とも呼ばれるように舞台装置や曲の構成など最小限に留めたシンプルなものになっています。鑑賞される方々が、それぞれのイマジネーションを広げて楽しむことができるのです。
曲のほとんどは、この世に執着を持ってさまよっている者がさまざまな施しによって浄化されるという内容になっています。つまり、能楽のテーマは“鎮魂”や“祈り”なのです。
また、“一期一会”という考えを大切にしています。その時々を大切にすることから“幽玄”の世界観がつくり出されているのです。
このように、長い歴史と数多くの先達たちによって育まれてきた能楽は、世界一古い仮面劇でもあります。つまりは、持続可能な開発によって継承され続けてきた伝統芸能だと私は考えています。
700年の歴史を持つ世界最古の仮面劇である日本の伝統芸能・能楽
「水を大切にする気持ち」の浸透を
持続可能な活動にするために4つの方針を立てる
編集部:能楽は、とても精神性の高い伝統芸能なのですね。外国人のファンも多いと聞いています。きっと研ぎ澄まされた精神世界に魅せられる方が多いのでしょう。そんないにしえより受け継がれてきた思想を受け継いでつくられた新作能『水の輪』ですが、制作する際にいくつかの決め事をされたとお聞きしましたが、それについてお話していただけますか?
山本:制作にあたっては4つの方針を決めて進めていきました。
1) 水都大阪の再生を祈念し、「水を大切にする気持ち」で人々の心を一つにつなげる。
『水の輪』は、水の浄化をテーマにして環境問題を考える能楽であることを明確にしようと考えたのです。
2) 現代アートと古典芸能の融合により「水を大切にする気持ち」を芸術を通してより深く表現する。
これは、世阿弥から脈々と続く観世流能楽の伝統に基づいて制作された新作能と現代美術家による新しく美しい舞台美術を融合させることで、能楽を“崇高ではあるがわかりにくい芸能”から“誰にでも楽しんでもらえる芸能”へと昇華させることをめざしたものです。世界最古の仮面劇に最先端の思想を内包する現代美術のエッセンスを加えることで、日本を代表する伝統芸能を通じて、より深く「水を大切にする気持ち」を感じていただきたいという思いからの方針です。
3) 次代を担う子ども達の自発的参加により楽しく「水を大切にする気持ち」を継承していく。
新作能『水の輪』は、「子ども達とつくる能」です。広く一般から公募した子どもたちと大阪の歴史を学び、船に乗って大阪の川を遊覧し、水の大切さを考え、ワークショップによって自らの衣装や小道具を手づくりし、能の稽古を積み重ねて、『水の輪』を私たちといっしょになってつくり上げました。次代を担う子どもたちには、先祖が大切にしてきた「水を大切にする気持ち」や水と共生してきた「日本人の誇り」などの伝統を継承していってほしいと思います。ちなみに子どもたちのアイ狂言のセリフは「大阪ことば」で制作しました。
4) 作品の中に上演する土地の歴史や文化、産業を取り入れ、その土地ならではの作品をつくり上げ、全国各地・世界各国で再演を繰り返し「水を大切にする気持ち」で世界をひとつにつなげる。
「水を大切にする気持ち」で大阪をひとつにするという目的を持っていたのですが、それを全国いや世界に広げていきたいと考えました。そこで、物語の“大阪”の部分を上演する水辺の地名に入れ替えて、その歴史や文化、産業を取り入れて展開することを思いつきました。「水を大切にする気持ち」で世界をひとつにつなげたいと考えています。
このように4つの方針を立て、地道に10年間、活動を続けてきたのです。
編集部:なるほど、最初から視野は世界に広がっていたのですね。ところで、ここで、『水の輪』の物語の詳細を教えていただけませんか?
山本:昔々、京都を都、大阪を難波と呼んでいた頃のお話です。都に住む男(ワキ)が難波に向けて出発します。途中、山崎の辺りまで来ると、淀川に女(前シテ)の漕ぐ一隻の舟が現れます。男は自分が難波をめざしていることを伝え、乗せてもらうことにします。女は昔の淀川の美しい様子を語りますが、難波の近くまで来ると水が汚れてしまったことを悲しみ、このような水辺にいることができなくなったと言って姿を消してしまいます。
男が一人で佇んでいると、一羽の水鳥(アイ)が飛んできて、今の出来事を話します。水鳥はその女は昔淀川に住んでいた水神だろう、水が汚れてしまったのでいなくなってしまったと言い、もう一度水神に帰ってきてもらうために、仲間を集め掃除をはじめます(小学生による水鳥たちの舞)。
やがて、きれいになった川に龍神(ツレ)が現れ、きれいな流れの道をつくり、波を鎮めて待っていると水神(シテ)も現れて、みんなの努力で水がきれいに蘇ったことを喜びます。さらに薬の精である猩々(ツレ)も現れて、最後はみんなで水のありがたさと難波が栄えていることを寿ぐのでした。
編集部:ありがとうございます。聴いているだけで、心がきれいになる物語ですね。
山本:この物語中に出てくる地名を入れ替え、その地の子どもたちに出演してもらい、衣装や小道具に現地の産品を用いることで、世界中のあらゆる地域での上演を可能にしています。だから、この作品は、「水を大切にする気持ち」で世界をひとつにできるはずだ、と考えています。
新作能『水の輪』の舞台の様子
今回は、能楽とは何か、新作能『水の輪』の制作に込められた持続可能な社会づくりへの思い、作品の具体的な物語などをお伺いしました。次回は、新作能『水の輪』公演の10年にわたる歩みをメインに、将来の持続可能な社会づくりへの抱負などを引き続き、山本佳誌枝さんにお話を伺ってまいります。乞う、ご期待。