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神藤タオル・神藤貴志社長インタビュー 「古いものを使いつつ、次代を見据えて変えて行く  ~自社ならではの製品の持続に向けて~」

神藤タオル・神藤貴志社長
聞き手:未来投資研究所 喜多茂樹
2022/04/19(火)


大阪府南部地域(一般に「泉州地域」と呼ばれています)はタオルの産地として知られており、そこで生産される泉州タオルの吸水性と肌触りのよさは折り紙つきです。その生産工程においても、環境に配慮した取り組みがすでになされており、SDGsに極めて親和性があります。
タオル業界は、中国はじめ海外から安価な品物が入ってきており、長らく厳しい状況に置かれています。そのような中、泉州地域内の泉佐野市にある、1907年の創業で115年の歴史を持つ老舗タオル製造会社の神藤(しんとう)タオルでは、自社ブランドを立ち上げ、古いものを守りつつも、新しいものを取り入れて事業を進めています。
今日は、創業家に繋がる神藤貴志社長から、これまでの会社の歴史や取組み、地元泉州地域の様子などをお伺いし、厳しい状況にあっても、事業の持続的発展を願っておられる多くの方々にとって、励ましになればと思っています。

神藤タオルは、明治40年(1907年)の創業。神藤社長は、創始者の孫にあたる祖父の後を継いで、大学卒業後、神藤タオルに入社して社長になった。
神藤タオルは、元々が、祖母方の曽曽祖父と祖父方の曽祖父と、もう一軒の三軒が合同でやり始めたんです。
僕自身は、育ちはずっと東京で、盆と正月に遊びに来る程度で、自分の実感として自分が継ぐんだみたいな感覚はまったくなかった。大学3年生のときに、祖父が東京に来て、将来どうするということで、継がないんやったら会社をたたむ準備をしていかなかくては、と。社歴が長いことはよく知っていたので、なんとなくNOと言って会社が幕となるのも、ちょっともったいないと思ったのも事実ですし、このタイミングで一代飛ばして僕に声をかけてくるぐらいなんで、一応続けていれば、まあ食っていけるよな、というような甘い考えで、神藤タオルに入る話が決まりまして。
ちょうど中国製の安いタオルが入ってきた時期で、会社としては厳しい状態ではあったんですが、現状を知らないし、地元に住んだことがないのが、結果としては入社を後押しする形にはなったのかなっていう感じですね。

タオルの生産地として知られる大阪府南部・泉州地域だが、生産業者が一時期に比べるとずいぶん減っている
大阪タオル工業組合に登録されている事業者は、最近では80社切ってしまったぐらいです。全盛期だと800以上あったそうですが、僕が入社したのが14年前になりますが、その時で150近くの事業者があったので、半減してしまってますね。
完全に分業で成り立っている産地なので、我々みたいな、タオルに織り上げる工程をやっている工場が大半で、製品化するに当たって不可欠な晒しと言われる、タオルの吸水性を引き出す工程、そこから派生して、刺繍とか、プリントみたいな、いわゆる意匠の事業者さんもまだ残っています。そういった形で、商品が行ったり来たりしながら作っている産地ではありますね。
最近では、僕よりも年の若い人達が業界に入ってきてます。危機意識というか、やっぱりこれまで通りではいけないよね、やり方は新しく変えていこうというやる気がすごくある人たちなので、規模としてはかなり縮小してますけども、ようやく活気づいては来たのかなというところですね。

昔ながらの業界にあって、先代たちが築いてきた信用の重みを感じる
神藤タオル株式会社のマルシンというロゴ、ブランドで、問屋さんにただ卸す下請けでなく、自社の名前を冠して物を作って売っていました。ガチャマン時代という、とにかく作れば作るだけ売れるという時代があったらしいんですけど、その頃でも、品質の管理とかにすごく気を使ってやっていたという歴史があるようで、マルシンは値段は高いけど、モノがいいという評価で、問屋さんが買いにくるという感じだったらしいですね。
入社当時、問屋さんから神藤さんのところのタオルはいいタオルやからな、とよく言われるんですけど、僕自身は全くピンと来てないから、どの部分が何のこと言ってるんだろうというような感覚がありまして。信用は一朝一夕で、当然できないものですが、今こうして、先代たちがずっと積み上げてきた神藤タオルの看板でやっている、というのはやっぱり大きいところですね。

海外への進出も始めている。若い頃、海外で暮らした経験が、今になって活かされている。
いわゆるブランディングで言うと、歴史があって、それに裏打ちされた技術、ストーリーは、海外の人は、もしかしたら日本の方よりもより強く感じるのかなという印象があるので、長年続いてきた歴史の中で出ている雰囲気が伝わるのは、やっぱり本当に強いなと思いますね。中学校2年生の頃から高校1年生の夏まで、父の転勤で、イギリスにいました。その時に英語を培ったというか、現地の学校に通いましたので、何とか英語でコミュニケーションできるという、それがようやく今、仕事で活かせているという感じですね。どの辺に重きを置いているのか、やっぱり文面だけで伝わらないので、そのあたりを大事にして行きたいですし、実際うちの商品が表現とか体現できてたら最高だと思いますね。

古い機械を使いつつも、新しい機械も導入する。守るべきものと変えるべきもののバランスを考える
うちにも新しい機械が入っているんですが、それは量産しやすい商品とかを専門に動かしています。

工場内では新しい機械。
タッチパネルで操作でき、 量産に向いている。

次に新しい機械。
パンチ式のシートを使って、 織る内容を機械に指示している。

タイプライター方式の特別な機械でシートを作成。
むろん、すべて手作業。
このシートそのものを生産する業者も数少なくなって来ている。

実際にうちの主力となっている商品については、古い機械を使ってます。手もかかりますし、部品なんかないので、実際、苦労も多いんですけど、古い機械でないとできないところがあるのは事実なんです。新しいものは精密機械なので、色んなことができるんですけども、うちがやりたいと思っている、特殊な改造はできない仕様になっているんですね。うちの工場長に言わせると、ここいじられへんかったらもう無理だわって、はっきり言ってたので、進化のベクトルの違いなのかもしれないですけども。そこにやっぱり職人としての意思を感じましたし、いじれる余地というか、創造の余地というのは、そういう事なんだなって思いましたね。
実際には、けっこういろいろとガタが来て、トラブル続きなんで、どうにか新しい、違う機械で同じ事が出来るようにならないかという研究をやっています。ブランディングの方向性なんかも、どこかでちょっとずつ修正をして行かないといけないですね。

最も古い機械。まさしく、職人が丁寧に調整しながら、動かしている。

機械も人も過渡期に来ている
うちの会社は、なかなか人を入れられず、何とかつないで、最近ようやく若い人を入れて定着してきたところです。 機械設備更新もそうですが、かなり過渡期の過渡期になってますね。
ちょうどそういうタイミングで自社のブランドをやりかけて、しかもその古い機械を大事に使ってという文脈のブランディングをしているので、結果的にタイミングが良かったのか悪かったという感じなんですが、古い機械を大事に使って、の精神は大事にしたいんですけども、状況は変わっていくことを前提に考えないといけないと常に思ってますね。
生産効率とかも落ちるし、値段も高いんですけど、今我々がやっていることに極力近い環境が新しい機械で整えられる視点で選んでますね。機械の発達とともに、人間がちょっと教えてあげれば、まったく同じ商品が作っていけるようになってるんで、これはこれで素晴らしいんですけど、その機械に慣れてしまうと、じゃあ違うのを作りましょう、特殊なものを作りましょうとなった時に、何をどうしていいかわからない状態になってしまうので。
うちの場合は、操作オペレーターという形で募集をしてるけど、実質求めてるのは職人なんですね。例えばその日の湿度によって糸の張り方がちょっと違うとか、いつもと違う音がする、なんかおかしい、どこか壊れているとか、とかいった部分で、やっぱり蓄積でしか培われないところではありますし、同時にいろんなトラブルに直面して、体感することで広がっていく部分なので、広げつつ積み上げつつ、みたいなところが、職人の部分になってくるんで、本当に五感フル動員で働いているというのはすごく感じるとこですね。機械の更新は絶対にしていかないといけないので、変に固執するのではなく、強いこだわりを持ち過ぎないようにしようとは思っています。

通称「でっち」。今でいうフォークリフト。
小回りが利き、今でも現役で活躍中。
古いものでも、使えるものは大いに使う。

海外を意識して、環境に配慮した材料を使うが、決して独自性は失わない
世界的にもタオルは存在するんですけど、国とか地域によって全然文化風習は違いますよね。その土地その土地に合わせた商品を作れたら一番いいかもしれないのですが、設備的な限界もあって、そうすることができない。ありがたいことに、弊社で作ってるガーゼタオルなど、うちでしかできない商品は、文化風習が違う海外の中にあっても特殊なものを持っているという意味で、海外への輸出を増やしていくところが、戦略としてはあるんです。それがSDGs的な感じがしますけど、海外に出て行くにあたって、日本のこれまで通りというのではなく、向こうの基準で、よりベターと思われるように変えていかなくてはと思っています。
そういう意味では、海外に本格的に出していきたいとなってから、原材料をオーガニックコットンに変えたり、出荷の際にプラスチックの袋で個別包装してたんですけど、海外に関してはそれを止めました。細かい部分ではありますが、海外のほうが環境への配慮があるので、そういう部分もきっちりと向こうの基準の視線、視点に合わせてやっていこうっていうのはありますね。

仕上がった製品を仕分けして配送していく。

産地としてもすでに取り組んでいた
産地として普通にやっていることが、実は結構環境にいいことだったというのは割とあって、最近、大阪タオル工業組合の泉州タオルの産地としてアピールし始めたところなんですけれども、実は我々の後ざらしという作り方は、水をかなり大事にしている作り方だったというのがありまして。単純に言うと水を必ず使う業界なんですね、さらしという加工においては。ただ我々の後ざらしという作り方は、その水を使う工程が、先ざらしという手法よりも一回減らせる。色を付ける工程では、染料とかを使うんですけど、そこで出る工業排水をそのまま流すわけにはいかないので、きっちりと排水処理をする大掛かりな設備があるんですけれども、大阪湾はそのまま瀬戸内海につながるので、瀬戸内基準という、世界でも有数の厳しい基準なんですけど、きっちりと排水処理をした上で放水しています。大昔は、その辺の近所にいろんな色の水が流れていたということも聞きますけど、そういったところからどんどん改良を重ねて、産地全体としても、水質の汚染や環境部分とかに取り組んでいます。
幸いなことに、和泉水脈という地下水源が豊富だったからこそ、タオルの産業産地として根付いています。これまで、いいタオルを作っていれば、きっと誰かが評価してくれると思っていたので、自分たちの良さをそこまで大々的に一般に向けてアピールするところが無かったのですが、今の時代、自分たちでやっている良いことと、課題をちゃんと認識した上で、それを改善していくということはちゃんと発信して行こうとしています。そういう意味で、海外に向けて、新たな取り組みではないですが、我々がやっている取り組みをちゃんと伝えるという部分もやっぱり大事かなというのはありますね。
泉州タオルは吸水性が良くて当たり前なんで、別にそんなん、いちいち言って来なかったですね、泉州の民族性かもしれないですけど、ちょっと斜に構えるところがあるので。僕は、そういう地元の先入観がなくこの業界に入ってきたので、純粋にいいと思えるのは、一つの強みだと思います。

2025年の大阪万博を一つの契機として、泉州エリアを売り出していく。
せっかくのタイミングですし、地元なので、業界を挙げて取り組みをやっていくというのが大前提で、ブランディングという意味でも本当に後発組なので、自分たちの意識を変えるということでは一つの契機になるのかなと。幸いというか、我々の後ざらしという作り方と、やっぱり吸水性が良いとか機能的な部分は、ベースの能力が高い、ポテンシャルは間違いないので、後はもっといい形で、いい見栄えでどうやってお客さんの元に届くのかという部分と、実際にそれを使っていただいたら、気に入ってもらえる自信がありますので、そういう意味でもよりよい露出、質のよい露出を増やして行くのは、我々としては、今課題として挙がってるところですね 。

今できることを精一杯していく
今できる環境の中でどうやってそれを実現するかというところを考えるのが一番必要な部分なので。それでもどうしてもできないと言われたら、もうしょうがない、新しい商品を考える、努力のベクトルを変える。本当にありがたいことに、ご好評をいただけているので、何とかこれと同じもの、もしくは近いものを作り続けたいとは思うんですけど、新しく機械を入れたらできるというわけじゃないというのは、なかなか難しい部分で、職人さんの腕の見せどころ、というところですね。

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