今日コンビニで手に取った食品、スーパーで買った魚、クローゼットから出した服——その一つひとつが、地球の生態系と静かにつながっています。
「持続可能な社会をつくる」という言葉は、もはや遠い目標ではありません。2030年まで残り4年を切った2026年の今、世界は次のフェーズへ踏み出しています。それが『ネイチャーポジティブ(自然再興)』です。
1.SDGsは「守り」から「攻め」のフェーズへ
2015年にSDGsが採択されてから10年あまり。「持続可能」という考え方は、私たちの生活やビジネスに浸透してきました。しかし今、世界はSDGsをさらに一歩進めた合言葉を掲げています。
2022年の生物多様性条約第15回締約国会議(COP15)で採択された「昆明・モントリオール生物多様性枠組」で国際合意されたネイチャーポジティブは、「2030年までに自然の損失を止め、回復軌道に乗せる」ことを目指すものです。
これまでの環境保護が「マイナスをゼロにする(悪化を止める)」守りの姿勢だったのに対し、ネイチャーポジティブは「自然を回復させ、プラスに転じさせる」攻めの姿勢です。SDGsを土台としつつ、2030年のゴールに向けて社会を力強く進化させるための「ブースター」のような概念といえます。
2.なぜ今、ネイチャーポジティブが熱いのか?
「2022年に決まった言葉なら、新しくないのでは?」と思われるかもしれません。しかし2026年の今こそが、この言葉を「自分たちのこと」として捉えるべき真のタイミングです。
その証拠が、2026年7月14日〜16日(16日はエクスカーション)、日本の熊本で開催される「第2回グローバルネイチャーポジティブサミット」です。196ヵ国が参加した2022年のCOP15で生まれたこの国際会議が、日本の地で開かれること自体が、「日本がネイチャーポジティブの主役となる年」であることを力強く宣言しています。
さらに、今この瞬間にも進行している3つの大きな潮流が、その動きを加速させています。
① 金融・ルールの激変(TNFDとISSBの衝撃)
企業が「自然への依存度や影響」を報告する国際的な枠組み(TNFD)が本格化するなか、2026年には国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)が自然関連開示基準の公開草案を発表する予定です。気候変動に関する情報開示(TCFD)が各国で制度化されていったように、自然資本・生物多様性の報告も、企業の生存戦略において不可避な要素となりつつあります。原材料の調達先で自然を破壊していないかを証明できない企業は、投資家から選ばれない時代に突入しました。
② 日本政府の「本気」(経済移行戦略の始動)
2024年3月に環境省・農林水産省・経済産業省・国土交通省の四省庁連名で策定された「ネイチャーポジティブ経済移行戦略」に基づき、地域レベルの実践が加速しています。単なる「保護」ではなく「経済成長の源泉」として自然を捉えるこの戦略が、地方創生や企業の新たな事業機会を生み出しています。
③ テクノロジーの進化(自然の見える化)
AIや「環境DNA」解析によって、水をコップ1杯すくうだけでそこにどんな生き物がいるかを特定できる技術が登場しました。こうした「生物多様性DX(Digital Transformation)」により、スマホひとつで「この場所の自然がどれだけ豊かになったか」を誰もがデータで実感できるようになっています(※当ポータルの関連記事「AIは、地球を修復できるか」もあわせてご覧ください)。
3.私たちの社会を変える3つの「再生」事例
ネイチャーポジティブは、私たちの暮らしやビジネスの形を、具体的かつポジティブに変え始めています。
① 都市に森を戻す「不動産価値」の逆転
かつてのビル建設は「緑を削る」ものでしたが、今は「緑が価値を生む」時代です。シンガポールの「キャピタスプリング」は、51階建て・高さ280mの超高層ビルに8万本超・130種以上の植物からなる広大な空中庭園を設け、都市に豊かな生物多様性をもたらしています。これが評価され、竣工時点で93%という高いテナント入居率とブランド価値を獲得しました。日本でも、生物多様性への貢献度が不動産融資の条件や物件価値を左右し始めています。

シンガポールのキャピタスプリング
② 「土を育てる」農業とファッション
パタゴニアが推進する「リジェネラティブ(環境再生型)農法」は、その象徴です。土を極力耕さない「不耕起栽培」によって土壌微生物のネットワークを守り、CO₂をより多く吸収・固定する豊かな土に再生します。パタゴニアは150以上のインドの農家と連携し、リジェネラティブ・オーガニックコットンを使った製品の販売を実現しています。食品大手のネスレも、2030年までに主要原料の50%をリジェネラティブ農業由来へ移行する目標を掲げており、消費者の選択が農地の再生に直結する時代が来ています。
③「海の森」が支える食卓
日本沿岸で深刻化する「磯焼け」——かつて約34万ヘクタールあった藻場(海中の森)は、2017年には約17万ヘクタールに半減しました。この「海の森」を積極的に再生することで、魚の住処を増やし漁獲量を底上げする取り組みが各地で加速しています。静岡県榛南地域では漁業者と自治体が連携した藻場再生プロジェクトで、2023年時点で870ヘクタールの藻場が復活。養殖藻場の調査では、藻場内の魚類個体数が最大36倍に増加した事例も報告されています。日本食文化(WASHOKU)の持続可能な未来は、この「再生」の視点なくしては語れません。
4.まとめ:2030年、そしてその先の景色へ
「ネイチャーポジティブ」という言葉が世界で産声を上げて数年。2026年の今、この概念は私たちの経済や生活を動かす「実体」へと進化しました。
以前ご紹介した「ホテルから始まる洗濯革命」のように、ケミカルな負荷を減らし水の循環を助ける選択も、立派なネイチャーポジティブへの一歩です。私たちは今、「環境のために我慢して守る」フェーズから、「自然を豊かにすることで、自分たちの暮らしもビジネスもより良くしていく」という、ワクワクするようなプラスの循環へと足を踏み入れています。
今日、何かを選ぶときに、「これは自然をプラスにするかな?」と少しだけ考えてみてはどうでしょうか。その一人ひとりの小さな問いかけが、10年後の豊かな食卓や、子どもたちが泳ぐ海の青さを決める決定打になるはずです。SDGsポータルサイトとして、私たちはこれからも、この「次に来る、そして今ここにある未来」を追い続けていきます。
【脚注】
[1] 環境省「昆明・モントリオール生物多様性枠組」https://www.env.go.jp/nature/biodiversity/kmgbf.html
[2] グローバル・ネイチャーポジティブ・サミット2026(熊本市)https://www.kumamoto-mirai.com/biodiversity-project/172-2.html
[3] SSBJ「ISSBは、提案された自然関連開示の今後の進め方に合意」https://www.ssb-j.jp/jp/activity/press_release_ssbj/y2026/2026-0422.html
[4] 環境省「ネイチャーポジティブ経済移行戦略の公表について」https://www.env.go.jp/press/press_03041.html
[5] 龍谷大学「環境DNA分析はコップ1杯の水から」https://www.ryukoku.ac.jp/nc/news/entry-8506.html
[6] CapitaLand「CapitaSpring marks completion with 93% in leasing commitment」https://www.capitaland.com/en/about-capitaland/newsroom/news-releases/international/2022/feb/CapitaSpring-biophilic-skyscraper-completion.html
[7] Patagonia「土壌を育てる」https://www.patagonia.jp/stories/planet/feeding-the-soil/story-161958.html
[8] IDEAS FOR GOOD「海藻は未来を救えるか?養殖藻場が拓く海のネイチャーポジティブの可能性」https://ideasforgood.jp/2025/02/03/good-sea-future-report/
[9] 持続可能な漁業とは?水産資源の現状や取組事例 https://spaceshipearth.jp/sustainable_fishery/
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