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平田オリザ氏 「演劇を通じた持続可能な社会を目指して」-その5- 教育と地域社会

平田オリザ氏(H)へのインタビュー         聞き手: あおやまあきら(A)※未来投資研究所 理事

〈-その1-〉 演劇の楽しさ

  •    演劇の起源
  •    話し合いのディシプリン
  •    劇場というシステム
  •    空間を共有する楽しさ
  •    他者を演じる

〈-その2-〉 始動

  •    東京駒場商店街
  •    演劇活動の開始
  •    演劇の言語に対する違和感
  •    固有性と普遍性

〈-その3-〉 社会の中で

  •    劇場経営
  •    劇場の役割
  •    地方とのつながり
  •    演劇を作る劇場

〈-その4-〉 豊岡

  •    市長との出会い
  •    豊岡に文化を
  •    演劇教育
  •    国際観光芸術専門職大学
  •    劇団ごと移住

〈-その5-〉 教育と地域社会

  •    世界都市
  •    演劇教育は世界標準
  •    演劇教育を通して学んでほしいこと
  •    ステイホームとは
  •    弱者のいない災害

(5)教育と地域社会

A:最後に、教育と社会の関わりについて、今の、コロナパンデミックとも絡めて、まとめていただけますか?

世界都市

H:そうですね。そもそも演劇教育、何で、豊岡で演劇教育が、そんな早く実現したんですか、と、よく言われるんですけど。豊岡市の1番のキャッチフレーズは、小さな世界都市、という、小さいけれども、世界から尊敬される都市になるっていうのが、まず、モットーなんですね。それから、市役所内での、一つの標語に、世界標準で考える、東京標準で考えない、っていうのがあるんです。東京標準で考えるから、みんな憧れだけで、東京に行っちゃうんだけど、世界標準で考えたら、豊岡も、東京も、同じだと。

で、世界標準で選ばれる町になると。18歳で、大学が今までなかったですから、若者たちは、7割は外に出ていくんですね。その時に、憧れだけで、東京には行かせない。明確な理由があって、パリやニューヨークに行くのはいいけど、憧れだけでは、東京には行かせない。そのために、18歳までに、世界標準の本物に触れさせる、っていうのが、豊岡全体の教育の方針なんです。アートにしても、他のものにしてもですね。

演劇教育は世界標準

H:で、僕はよくマスコミの方にお答えするのは、何で豊岡でこんな演劇教育を実現したんですか、って聞かれるんですけど、いや、これは、世界標準だからです、というんです。海外の学校では、普通に演劇教育は、もう、入ってますし、少なくとも、先進国では、高校の選択科目には、ほとんど、入っているわけですね。日本は、音楽と美術と書道な訳です。普通の国は、音楽と美術と演劇なんで、当然、演劇の先生も、いるわけです。なので、東京がおかしいんだ、と。私たちが世界標準だ、という風に、言っている。

ただ、その中でもですね、一応、演劇的手法を使ったコミュニケーション教育と呼んでいますけども、1番の目的は、やっぱり、自分の頭で考えて、自分の考えで行動できる子供たちを作る、っていうことなんだと思うんです。さっき言った、それ、憧れだけで東京に行かせない、っていうのは、そういうことだと思うんです。で、良き市民を作る、自立した市民を作る、ってことが、演劇教育だけではないですけれども、市民化教育のなかで、演劇がはたす一番の大きな役割だと、思っています。

 

演劇教育を通して学んでほしいこと

H:その中で、ずーっと、僕は、会話と対話の違い、っということを、言ってきました。対話は、dialogueですね、会話は、conversationで、英語では、もう、はっきりとした違いがあるんですけども、日本語では、あまり、対話dialogueてのは意識されてこなくて、辞書を引いても、一対一でしゃべること、みたいに書いてあるわけです。僕なりの定義では、会話ってのは、親しい人同士のお喋り、対話ってのは、異なる価値観をすり合わせたり、交換したりする行為、っていうふうに、定義づける。

日本人は、会話、お喋りは得意なんだけど、なかなか、対話、要するに、異なる価値観を持った人との、すり合わせとか、が、苦手、なんじゃないか、と。で、演劇というのは、ま、一番冒頭に戻るんですけど、まさに、その、共同体の中で、どうしても対話をしないと、作っていけないシステムなんです。で、演劇を通じて、この、ダイアログの手法っていうものを学んでもらいたい、というふうに、考えています。

それで、最近は特に、シンパシーからエンパシーへ、っということもよく、ずっと、この十数年言ってきました。シンパシーってのは、これも日本語に訳すと、同じような訳が出てきてしまうんですが、僕は、同情から共感へ、同一性から共有性へ、というふうに、よく、言ってきました。要するに、シンパシーってのは、弱いものに、こう、同情したりする、自然に出てくる感情なんですけれども、エンパシーっていうのは、異なる価値観を持った人が、なぜそういう行動をしたのかを、考える、能動的な態度であったり、技術であったり、だから、これ、教育で教えないといけないことなんですけども。

欧米の多くの教育は、このエンパシーの教育に、相当舵を切ってるんですよ。これは、まだ、日本では、弱い。で、これも、演劇っていうのは、非常に、こう、他者を演じたりすることによって、エンパシーを育てるのには、非常にいいもので、別にこれは、僕が言ってるわけではなくって、ヨーロッパの教育では、当然、当たり前のこととして、受け入れられているわけです。で、今回の、コロナの問題で言うと、会話はできるけど、対話がない、シンパシーはもてるけど、エンパシーが弱い。

ステイホームとは

H:もうひとつ 、僕は、今回のことで思ったのは、日本では、ハウスはあるけど、ホームがないんじゃないかと、ね。ステイホーム、というんだけれども、あれ、お家にいようよ、とかみたいな訳、要するに、ちょっと、幼児語でしか訳せないのは、ホームに、きちんと、直接対応する日本語がないんだと思うんです。ご承知のハウスというのは、物理的な家ですけれども、ホームというのは、家族とか、友人関係とか、っていう、その関係を含めた共同体です。帰るべき場所、というニュアンスです。で、ステイホームっていうのは、そういうことなんだと思うんです。ステイハウスではないですよね。

ところが、ま、今日は、こういうインタビューですから、当然、初めての人とお会いするんですけれども、大学の授業なんかやってると、今回新学期だったんで、ゼミとかはすごい楽なんですね、みんな知ってるから。が、やっぱり、初めてで、オンラインってのは、なかなか難しくって。みなさん、オンライン飲み会とかやってるのは、あれ、友達がいる人たちは、いいんだけれども、で、ホームがある人たちはステイホームできたんだけど、ステイハウスだけの人たちが、ちょっと、こう、凶暴になって、SNSとかで、厳しい言葉を投げかけたりとか、ストレスが溜まっちゃってるんじゃないかな、っていうふうに思いました。で、これを、少なくとも、こういう風に、意識するっていうのが大事だと思うんです。ハウスではないんです。家にただいるだけではないんです。帰るときは、その、戻るんだという感覚が、ま、大事なんじゃないのか。

A:ヨーロッパやアメリカのことを見てて、どうして、個人主義の、それぞれ、独立した人たちが、逆にあれだけの、行動をとるのか。実は、私たち欧米に長いこと住んでたんですけど、彼らは、実に、本当にホームというか、家族なり、友人ていうつながりがすごく強いんですね。

H:そうですね。はい、

A:日本は、今、それがすごく弱いっていう、まさに、ご指摘の通りだと思います。

H:それは、その、個人主義とホームていうのは、対になっていて、自立した個があるからこそ、ホームっていうのが成り立つんだと思うんです。これが、まあ、民主主義を支えてるんだと思うんですけれども、要するに、それは、アーティスト的な言い方をすると、孤独に耐えるということなんだと思うんです。で、その、孤独とか、不条理に耐える、そして、それを乗り越えて、共同体を形成していくっていうことなんですけど。日本は、やっぱり、べちゃって、べちゃってなりますからね、そういうこの、孤独に耐えたりは、できないので、実際できないかどうかは、わかんないですけども、孤独になることなく済んでしまい、自立した個が確立しにくいところがあるんじゃないかと思うんです。

弱者のいない災害

H:で、ちょっと、話を元に戻しますと、今回の、新型コロナウイルス問題の、最大の特徴は、僕は、弱者のいない災害と言うふうに、捉えてるんです。東日本大震災の時は、明らかにあの東北の人たち、家族を失ったり、避難生活を長く強いられたり、した人たちは、もう、ほんとにかわいそうで、誰が見てもかわいそうで、だからたくさん募金もしたし、ボランティアにも行ったし、そして、東京の人間は、計画停電も受け入れて、福島の問題はあったにしても、あの瞬間、そんなに、ネットが刺々しくは、なってないんです、今と違って。

ところが、今回は、特に、日本の場合、あの、最初のクラスターが、豪華客船だったり、とか、ライブハウスだったりとか、ナイトクラブ、高級クラブだったりするので、何か、その、本来感染したした人は、かわいそうな人のはずなのが、全く弱者として扱われなくって、なんか、タレントが病気になると、謝んなきゃいけないような、どこにも弱者がいない災害って、非常に珍しい、多分人類が経験したことのないような種類の災害になってます。先ほど申し上げたように、私たち日本人は、とてもやさしい民族なので、同情する時はすごい同情します。かわいそうーって思います。だけど、この同情のはけ口がないんですね、今。それも、一つ、この、凶暴化の原因なんじゃないか。ストレスがたまる原因じゃないか、と、思います。

だから、この、ダイアログとか、エンパシーとか、ホームとかいうことが、ちょっと日本社会の弱い部分に、非常に、こう、ウイルスというものが入ってきてしまっている。逆にいうと、そういうことのために、演劇教育というってのがある、っていう風に、僕自身は、ま、これは、まあ、何ていうか、我田引水、というか、牽強付会ですけども、僕自身は、演劇教育について、そういうふうに思います。

A:長いインタビューでしたが、すごく、貴重で、有意義なお話だったと思います。ありがとうございました。

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