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平田オリザ氏 「演劇を通じた持続可能な社会を目指して」-その1- 演劇の楽しさ

平田オリザ氏(H)へのインタビュー         聞き手: あおやまあきら(A)※未来投資研究所 理事

 

本日は、演劇を通して、広く、深く、社会に貢献しておられる平田オリザ先生に、お話を伺います。文化というのは、非常に人間の根本的なところに、結びついてるものだと思うのです。そこで、社会の中に根付いて、文化がうまく花開くと、社会全体が活性化するし、持続可能な社会の中で、人々の暮らしも豊かになるだろうと、思っています。そういう目で見ると、平田先生の演劇を元にした活動というのは、理想的な形で、それが実現していってると思うんです。その全体像を、平田先生のお口で語っていただければ、素晴らしくはっきりした綺麗なピクチャーが出てくるんじゃないかと思うので、よろしくお願いいたします。

〈-その1-〉 演劇の楽しさ

  •    演劇の起源
  •    話し合いのディシプリン
  •    劇場というシステム
  •    空間を共有する楽しさ
  •    他者を演じる

〈-その2-〉 始動

  •    東京駒場商店街
  •    演劇活動の開始
  •    演劇の言語に対する違和感
  •    固有性と普遍性

〈-その3-〉 社会の中で

  •    劇場経営
  •    劇場の役割
  •    地方とのつながり
  •    演劇を作る劇場

〈-その4-〉 豊岡

  •    市長との出会い
  •    豊岡に文化を
  •    演劇教育
  •    国際観光芸術専門職大学
  •    劇団ごと移住

〈-その5-〉 教育と地域社会

  •    世界都市
  •    演劇教育は世界標準
  •    演劇教育を通して学んでほしいこと
  •    ステイホームとは
  •    弱者のいない災害

(1)演劇の楽しさ

A:まず、演劇の楽しさというか、ワクワクするようなところは、どういうところでしょうか。

H:そうですね。今のようなスタイルの演劇というのは、2,500年前にギリシャで始まったんですけれども、演劇的なものは、それ以前から、あったんですね。例えば、日本でも、縄文の遺跡ですとか、そういったものを、見ていってもですね、必ず、集落の中に、お祭りの場所のようなところがあって、おそらく、人類が、今のホモサピエンスですね、誕生したあたりから、こういったものは、あったんではないかというふうに考えられています。

© Marie-Lan Nguyen

 

演劇の起源

僕の説はですね、人間だけが、他の霊長類と違って、社会と、それから、家族というふたつの共同体に属しますね。ゴリラは、家族単位で行動しますし、チンパンジーは群単位で行動するわけですけれども、人間だけが、最低でも、ふたつの共同体に所属すると。そうするとですね、例えばお父さんが狩りから戻ってきた時にですね、今日こんな大きなマンモスがいてさあ、ってことを家族に説明しなけりゃいけないわけですよね。ゴリラはそういうことは必要ないわけです。みんなが同じマンモスを見てます。チンパンジーも。

ところが、見た者と見てない者が、いるわけですね。また、今度狩りに行くと、うちの女房ちょっと機嫌が悪いんで、肉たくさん 持って帰んなきゃいけないんですと、事情を説明しなくちゃいけないんです。その時にですね、こんな大きなマンモスって言った時に、どんなに大きかったかを説明するのがうまいやつというのが出てくる。それが、例えば絵で説明したりとか、私のように、言葉で説明したりとか、あるいは、足音でこう説明したりとか、あるいは、こう身体表現で説明したりとか、ということが起こってきたんじゃないかというのが、僕の説なんですね。

要するに、コミュニケーションというものの起源と、演劇とか芸術活動の起源と、ほぼ同じ時に生まれていて。それともうひとつ 、人間には記憶というのがあるので、かつてこの村では、こんな大きなマンモスがが取れた。ま、これが伝承されていくわけです。と、当然話を盛るようなやつが出てきて、また。そこに、こうクリエイティビティの起源というのが僕はあると思ってるんですけれども、要するに人間がこう何かを伝えたい時にですね、よりうまく伝えたい、とか、より面白く伝えたいという衝動が必ずあるんだと思ってる。その最も原始的なツールとして演劇というものがあるんじゃないか。そういう意味では、映画が出てきても、テレビが出てきても、インターネットが出てきてもですね、目の前で何かをこうやってみせるということの面白さっていうのは、あるのかなあということがひとつと。

話し合いのディシプリン

もうひとつ は、先ほど言ったように2,500年前に、ギリシャで演劇って生まれたわけですけれども、これは、当時の民主制とほぼ同時期に生まれてます。これはですね、要するに共同体を維持する時に、それ以前から多分そうだったんだと思うんですけれども、特に民主制なんかが生まれてくると、それまで王様や貴族が決めていてくれたことを、みんなで決めなければいけない。みんなって言っても、一人一人考えがバラバラなので、結局、力が強いもの、声の大きいものの、勝ちになって、元の木阿弥じゃないか。

その時にですね、ギリシャの人たちがえらかったのは、ふたつ話し合いの、ディシプリンを、人類に残したと思うんですね。そのうち一つは哲学です。弁証法という考え方ですね。で、もうひとつ が演劇だったと思うんですね。演劇と哲学と民主制は、ほぼ同じ時期に生まれているんです。それは、哲学が異なる概念をすりあわせるんだとすれば、演劇は、それを作る過程で、異なる感性をすり合わせて行ったんじゃないか。そういう訓練を、していったんじゃないかと。

 

劇場というシステム

ただ、それはギリシャに限らず、日本の農村歌舞伎なんかでもそうなんです。イニシエーションとして、子供が大人になっていく段階で、どうしても、その共同体に入っていく通過儀礼としてですね、演劇とか伝統芸能というのを作ってきたんじゃないのか。そう言ったこともですね、日本にもヨーロッパにもあったんですけども、残念ながら日本はですね、いったん、あの明治期に、近代化の過程そのもので、途切れてしまうわけですけれども、ヨーロッパの場合は、それが劇場という伝統で残ったわけです。だから、ヨーロッパの場合にはその劇場というシステム自体がですね、教会の代わりというか、その、週に一回でも月に一回でも行って、演劇を見たり、音楽を聞いて、そのことについて話し合う、そういう場として、その市民社会を維持する機能として、まだ、大きな役割をはたしてるんです。

だから、ヨーロッパでは、劇場というのは、学校や病院に、匹敵するとまでは行かないけれども、それに準じる、ですから、図書館ぐらいの、大きな公共性を担った、建物なんですけれども。残念ながら、日本では、そういう伝統がちょっと育たなかったというところは、ま、あるかな、と思います。あと演劇はやっぱりそういう意味では、逆にいうとリテラシーが必要なので、子供のころから見たり、やったりしていないと、なかなか、大人になってから、その習慣を身に付けるというってのはちょっと難しいものかなというふうにも感じます。

 

 

空間を共有する楽しさ

A: 演劇の場合は、特に、臨場感というか、その場にいるっていうことだけで、ものすごくインパクトがありますね。そこが、一般の人にとっても楽しいところじゃないかなと思うんですけれども。

H: 空間を共有するということが、なんでかわからないんですけど、非常に人間にとって、ある種の快感原則が、働くんだと思うんです。例えば、食事を共にするとかというのと、似たようなことなんだと思うんです。本来、食事をするだけだったら、個別に食べてもいいんだけど、なんで、こう食卓を囲むのかということですよね。それは、場の共有というのが、何か私たちのDNAの中に、あの、組み込まれていて、ま、そういうものに非常に快感を感じる。

で、今回の新型コロナウイルスの影響で、多くの劇場がしまって、いろんなオンラインでの配信とか始まったわけなんですけど、実はですね、この前から、一番熱心に、こういった配信をやってたのは、ニューヨークのメトロポリタンオペラなんです。これもう非常にたくさんのカメラを使って、非常に臨場感があって、あの普段見られないアップの映像とかも見られるので、すごい人気があったんです。で、世界中でライブビューイングとかもしてたんですけど。ただですね、面白いのは、普通やるとですね、アンケートをとると、9割の方が、より本物が見たくなったというふうに答えるんです。で、そのアンケート調査があったので、メトロポリタンオペラは、本格的にこの配信に乗り出したんですね。

それまでは、社会政策とか、文化政策を考えるアートマネージメントの世界でも、なんとなく、インターネットで見られるようになったら、劇場にこなくなっちゃうんじゃないかと、みんな思ってたんですけど、実は違ってたんですね。これは今ライブエンンターテインメントの世界でも、この20年間で、日本のCDの売り上げって、ものすごく下がってる。みんなもうネットでいくらでも聴けるようになってしまいました。ところが、あの、ライブのチケットはですね、売り上げが4倍になってるんです。

今、全体の、ライブエンターテインメントのファンで、1兆円産業に成長しまして、この20年間、要するに、2,500億円の産業が1兆円になってるってことなんです。また、インターネットの世界だからこそ、生の価値が増した。これからはさらにこの、コロナの影響もあってですね、おそらく、500円とか1,000円で課金して見られるインターネットのすごく安い世界と、対面がより価値を持つようになるので、おそらく、1万円、2万円出しても、みんなやっぱり生が見たいという、この2極分化するんじゃないか。ただ、この場合に、ちょっとお金持ちしか見られなくなってしまうので、これをどうやって、民主化していくかというのが、もうひとつ 課題ではあるんです。

 

 

他者を演じる

A: 私たちが子供の頃というのは、結構、演劇というのは、家庭の中に入り込んでいたんですね。家庭に子供達が集まって、何かあれば、劇をやる、もう少し大きくなっても、友達同士でも、有名な小説の一部をみんなでやってみようか、っていうような、感じがまだ残ってたんですね。そういう意味では、演劇っていうのが、各家庭、あるいは友達同士というところで、急速になくなっていったような気がするんです。

H: まあ、どうしてもですね、今他に楽しいこともたくさんありますしね。ごっこ遊びというのはですね、子供にとっては非常に基本的なことなので、今も残ってはいるんですが、まあ、一時期ですね、幼児教育の世界で話題になったのは、子供たちがままごとが急速にできなくなっているってのがあって、ままごとというのは、役割分担とか、役割の交換ということで、ロールプレーですよね。非常に子供の教育にとって大事なものとされているんですけど、これができなくなってる。で、これは、核家族化とかですね、お父さんがあんまり家にいないとかですね、

あと、ショッキングだったのは、みんなお母さん役を嫌がるっていう傾向があるんです。お母さん怖いから、いつも怒ってるから、みたいな。で、そう話題になったことはあります。ただこれは、はっきりした統計があるわけではないので、どのぐらいかはわからないんですけど、実際私自身は演劇教育に関わってますと、やっぱり先生方も、今の若い先生は演劇教室とか知らないので、やってみせるとですね、ほんとに子供ってやっぱり演じるっていうのは好きなんだなと、他者を演じるってことの快感がやっぱり人間にはあるんだと。

だから、ヨーロッパでは、ちっちゃいうちからですね、人形劇をやったりとか、それも見せるだけでなしにやるんです。あと、仮面劇、ちょっとその、自分を隠して、他者を演じるってことが、なんか人間っていうのはですね、こう快楽を伴う、ま、嘘、嘘をつくのにもなんとなく快楽ってありますよね。やっぱりうまい詐欺師っていうのは、何となく、あれ、快感なんだと思うんです。だから、やめられなくなると。そういうことはですね、本来的な人間の欲求としてあると思うので、やっぱり、それは少子化とかですね、地域社会の崩壊とかがですね、そういうものでちょっとずつ弱くなってるのは間違い無いと思います。

〈-その2-につづく〉

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