2026年6月、天皇皇后両陛下は国賓としてオランダを訪問されました。今回の訪問で改めて世界の注目を集めたのが、天皇陛下とウィレム=アレキサンダー国王が長年にわたって共に育んできた「水問題」への深いコミットメントです。皇室と王室の親善という枠をはるかに超え、40年近くにわたって積み上げられてきたお二人の「水の絆」——その軌跡と、それが現代社会に投げかける持続可能な未来へのメッセージを紐解きます。

アムステルダム
最先端研究所の視察が映し出したお二人の共通の志
今回の訪問でひときわ注目を集めた場面のひとつが、天皇陛下とウィレム=アレキサンダー国王が肩を並べてオランダの治水・水資源管理の研究機関「デルタレス(Deltares)」を視察されたことです。デルタレスは、治水・気候変動・沿岸域管理などの応用研究を担う、オランダ政府が設立した独立系研究機関です。日本との縁も深く、北海道大学・北海道河川財団などと「氾濫リスク評価手法」に関する日蘭共同研究プロジェクトを継続的に展開しています。
施設内では、人工の波を発生させて堤防を高波にさらす大規模な実験を視察されました。最大約4.5メートルに達する波が堤防に打ち付ける光景を前に、陛下は「波の影響をどれくらい防げるのか」など熱心に質問されていました。その眼差しは、儀礼的な視察のそれではなく、水を生涯のテーマとして追い続けてきた研究者のものでした。
研究者としての原点—1987年、ネパールの丘で抱いた素朴な問い
天皇陛下の「水」への関心は、二つの原体験が重なった1987年(昭和62年)に根ざしています。
一つ目は、学術の場での原点です。陛下は1983年6月から1985年10月まで、英国オックスフォード大学マートン・カレッジに留学し、「18世紀のテムズ川の水上交通史」を研究されました。その成果をもとに、1987年にテムズ川の水上交通の歴史に関する初めての学術講演を行われています。これが、陛下の水に関するライフワークの学術的な出発点となりました。
二つ目は、途上国でのリアルな原体験です。同じ1987年3月、陛下はネパール・ブータン・インドへの親善訪問の折、ネパール・ポカラ市郊外のサランコットの丘付近を訪れました。そこで目にしたのは、甕(かめ)を手に水汲み場へ列をなす女性や子どもたちの姿でした。陛下はのちに当時の心境をこう振り返っています。
「水くみをするのにいったいどのくらいの時間が掛かるのだろうか。女性や子どもが多いな。本当に大変だな」
この素朴な問いが、やがて世界の水問題へと向かう目を開く大きな契機となりました。帰国後、女性が水汲み労働から解放されない現実が地位向上を阻んでいること、子どもが水汲みに時間を取られて通学できないこと、地球温暖化の多くが水循環を通じて人間社会に影響を及ぼすことを知るにつれ、陛下の関心は水運史という歴史研究の枠を超え、水資源・水災害・公衆衛生という地球規模の現代的課題へと広がっていきました。
こうした歩みをたどった主要講演録は、2019年4月に『水運史から世界の水へ』(徳仁親王著・NHK出版)として一冊にまとめられました。その「はじめに」で陛下はこう記しています。
「水問題は、あたかも水がどこにでも流れていくように、世界の紛争、貧困、環境、農業、エネルギー、教育、ジェンダーなどさまざまな分野に縦横無尽に関わってくる」
水を入り口として世界の諸課題を立体的に捉えるこの視座こそ、陛下が40年かけて構築してきた思想の核心です。
世界の舞台で重ねてきた国際貢献の実績
天皇陛下は皇太子時代から現在に至るまで、国際的なフォーラムの場で専門家として発信を続けてこられました。その歩みは「時代に即した新しい公務」として国内外で広く評価されています。
- 世界水フォーラムへの御臨席(2003〜2018年・計4回)
第3回世界水フォーラムの名誉総裁に2001年5月に就任し、2003年3月、京都・滋賀・大阪で開催された同フォーラムの開会式に臨み、「京都と地方を結ぶ水の道」と題した記念講演を行われました。2006年3月の第4回(メキシコシティ)では「江戸と水運」、2009年3月の第5回(イスタンブール)では「人と水との密接なつながり」をテーマに基調講演を行われました。そして2018年3月の第8回(ブラジリア)では「水と災害」ハイレベルパネルに登壇し、水災害をめぐる国際的な議論をリードされました。
- 国連「水と衛生に関する諮問委員会」名誉総裁(2007〜2015年)
2004年3月22日(世界水の日)、アナン国連事務総長の発意によって設立されたこの委員会の初代議長には、橋本龍太郎元首相が就任しました。しかし橋本氏が2006年7月に逝去したため、同年12月にウィレム=アレキサンダー皇太子(当時)が第2代議長に就任しました。翌2007年11月、天皇陛下(当時皇太子)が名誉総裁に就任され、2015年の委員会終了まで8年間にわたりお二人は緊密に連携されました。
- 国連「水と災害に関する特別会合」基調講演(2021年)
2021年6月25日、赤坂御所からオンライン形式で第5回国連「水と災害に関する特別会合」に出席し、英語で約30分間の基調講演を行われました。「災害の記憶を伝える——より強靭で持続可能な社会の構築に向けて」と題した講演では、東日本大震災の教訓を引きながら、過去の災害記録を次世代に継承することの重要性を国際社会に提唱されました。
国連の場で生まれた「同志」の絆——8年間の協働が育んだ信頼
オランダは国土の約4分の1が海抜ゼロメートル以下に位置し、古くから治水・水資源管理において世界をリードしてきた「水とともに生きる国」です。ウィレム=アレキサンダー国王もまた、水問題を自らのライフワークとして長年深くコミットしてきました。
お二人の関係が「外交上の親善」を超えた実質的な協働へと深まったのは、国連「水と衛生に関する諮問委員会」における8年間の活動を通じてです。議長として委員会を率いるアレキサンダー皇太子(当時)と、名誉総裁として連携する天皇陛下(当時皇太子)。「水という一つの課題を通じて、一緒になって世界のために仕事をした」というその原体験が、今日のお二人の深い信頼関係とリスペクトの根底に流れています。
2026年6月のオランダ訪問で、デルタレスという最先端の舞台に再び並び立ったお二人の姿は、その絆が現在進行形であることを静かに示していました。
「水」を解決すると、他のSDGs目標も連鎖して動き出す
天皇陛下が著書に記された「水はあらゆる課題と縦横無尽に関わる」という言葉は、SDGsの構造そのものを言い当てています。安全な水とトイレへのアクセスを目指す「目標6(安全な水とトイレを世界中に)」は、他の多くの目標と深く連動しています。
地球温暖化に伴う洪水や渇水などの極端な気象は、地域の水資源と安全な水へのアクセスを直接脅かします。これは「目標13(気候変動に具体的な対策を)」と目標6が不可分であることを示しています。また、水汲みに時間を奪われる途上国の女性や子どもたちは、学校に通えず社会参加の機会を失います。これは「目標4(質の高い教育をみんなに)」や「目標5(ジェンダー平等を実現しよう)」への直接的な障壁となります。水問題を解くことは、貧困・教育・ジェンダー・気候変動をめぐる複数のSDGs目標を同時に前進させる鍵となるのです。
治水・水管理で世界をリードするオランダと、水運史・水災害研究の厚い知見を持つ日本。デルタレスのような最先端研究機関を介した両国のパートナーシップは、「目標17(パートナーシップで目標を達成しよう)」の理想的な実践例であり、気候変動が深刻化する時代における力強い国際連帯の雛形となりえます。
「水を『自分事』として捉え直すために」
天皇陛下とアレキサンダー国王が体現してきた「水を入り口に世界全体の課題を立体的に見つめる」というアプローチは、世界のリーダーだけのものではありません。水リスクが高まる時代を生きる企業・自治体・市民一人ひとりにとって、実践的な示唆を持っています。
実際、日本国内でも気候変動に伴う水災害の激甚化を受け、国の方針に基づく重要な政策が「今」急速に進んでいます。その象徴が、政府が主導する「国土強靱化(ナショナル・レジリエンス)」の強力な推進と、これまでの堤防だけに頼る治水から脱却する「流域治水」への抜本的なパラダイムシフトです。
これは単なる一自治体のインフラ整備にとどまりません。国家規模の重要施策としての方針のもと、自治体による遊水地の整備や雨水貯留施設の設置はもちろん、企業や市民が主体となって参加する「田んぼダム」の運用や緑地保全など、官民が一体となって街全体で水をコントロールする実効的なアプローチが全国で本格化しています。
陛下が2021年の国連会合で強調されたように、過去の水災害の記録を次世代へ継承することは、こうした地域の防災力を足元から高める重要な土台となります。自治体や企業は氾濫・渇水の歴史をデータとして蓄積するにとどまらず、最先端のデジタル技術(3D都市モデルやハザードマップの高度化)を駆使して、事業継続計画(BCP)や地域のインフラ計画へ具体的に実装していくことが求められます。
また、水は企業活動を支える不可欠な資源でもあります。自社の水使用量とその環境負荷を把握・管理し、国の方針である流域治水プロジェクトや国土強靱化の施策へ積極的に参画・協賛する姿勢は、ESG経営における目標6達成への具体的な一歩です。水問題の解決には、産官学と市民社会がまさに「流域の同志」として手を取り合い、国の施策を地域インフラや企業活動へ実装していく継続的な取り組みが欠かせません。
1987年、ネパールの丘で水を汲む女性たちを前に浮かんだ陛下の素朴な問いが、40年の歳月をかけて強固な国際連帯へと結実しました。同じように、私たちが日々の暮らしや仕事の中で「この地域に降る雨はどこへ流れ、国や地域はどう管理しているのか」という小さな問いを抱き、国家・自治体レベルの取り組みに歩調を合わせることこそが、SDGsが目指す持続可能な未来への第一歩となります。
参考・引用
時事通信「天皇陛下、水関連の研究所へ=ライフワーク、オランダ国王と」2026年6月18日
https://www.jiji.com/jc/article?k=2026061800335&g=soc
宮内庁「第3回世界水フォーラム開会式における皇太子殿下記念講演」 https://www.kunaicho.go.jp/okotoba/02/koen/koen-h15az-mizuforum3th.html
宮内庁「第8回世界水フォーラム『水と災害』ハイレベルパネルにおける皇太子殿下基調講演」2018年3月 https://www.kunaicho.go.jp/watch/okotoba/imperial-family01/speech/20180319.html
宮内庁「第5回国連水と災害に関する特別会合における天皇陛下基調講演」2021年6月25日
https://www.kunaicho.go.jp/watch/okotoba/imperial-family01/speech/20210625.html
宮内庁「第1回アジア・太平洋水サミット開会式における皇太子殿下記念講演」 https://www.kunaicho.go.jp/okotoba/02/koen/koen-h19az-mizusummit.html
国土交通省「国連「水と衛生に関する諮問委員会」の概要」
https://www.mlit.go.jp/common/000016199.pdf
外務省「皇太子殿下の第8回世界水フォーラム御臨席(概要)」2018年4月 https://www.mofa.go.jp/mofaj/ic/gic/page25_001306.html
日本経済新聞「天皇陛下、国連会合にオンラインで基調講演」2021年6月25日 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE256K50V20C21A6000000/
徳仁親王著『水運史から世界の水へ』NHK出版、2019年4月
https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000817722019.html
株式会社ドーコン「氾濫リスク評価手法に関する日蘭共同研究プロジェクト第3期が本格始動」2026年4月22日
日本水フォーラム「皇太子徳仁親王殿下『水に関するご講演集』平成15年(2003)から平成30年(2018)まで」
https://www.waterforum.jp/news/19414/
国土交通省「流域治水の推進」
https://www.mlit.go.jp/river/kasen/ryuikichisui/
内閣官房 「国土強靱化(ナショナル・レジリエンス)」
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/kokudokyojinka/
国土交通省「3D都市モデルの整備・活用・オープンデータ化プロジェクト(Project PLATEAU)」
https://www.mlit.go.jp/plateau/
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