株式会社HELTE 代表取締役 後藤学 (G)
未来投資研究所:青山アリア 喜多茂樹 青山あきら (聞き手 A)
株式会社HELTE社長の後藤学さんは、日本語を学ぶ海外の若者と日本の高齢者をインターネットでつなぎ、日本語での会話を通して、語学学習のみならず、異文化の若者と老人を結ぶという独特の文化交流の形を作られ、ご活躍中です。本日は、人々の相互理解を通して、世界平和にも貢献する、日本発のユニークなビジネスを展開されている、新進の若手実業家である後藤さんに、起業の背景と事業の意義を中心に、その思いを、SDGsに取り組む、特に、若い世代の方々とシェアしたいと思います。
【そのⅠ】 起業の背景
生い立ち
インドでの衝撃的な経験
その後のヨーロッパ・アジアへの旅
東南アジアで見聞きしたこと
アメリカの老婦人とインターネット
【そのII】 株式会社 HELTE
ビジネスモデル:就職から起業への1年間
海に出たい!
出資者
事業
社会情勢とコロナ
海外の若者たち
コロナ
事業の可能性
【そのIII】 HELTEの新しさ
シニア層
美しいということ
今後の展開
産学官民での連携
【そのIV】 SDGs
【エピローグ】
I 起業の背景
生い立ち
A
どうしてこの起業に至ったのかを、最初にお伺いしたいと思います。
Gotoh
起業スタートの一番のきっかけは、僕の経験もあるんですけど、さらに最近深く考えてみて、結局、母、生まれ育った環境に、あったのかな、という風に思ってます。
僕の母はカメラマンでして、海外に行って仕事をする期間が、小学校6年生ぐらいまで、すごく多くて、欧州からアジア、アメリカまで、いろいろブラブラしながら、写真を、とっていました。僕としてはそれが嫌で、劣等感をすごく感じていました。というのは、僕、母子家庭で育ちまして、母親がカメラマンで、ずっと海外に行って仕事をすると、結局おじいちゃんおばあちゃんと過ごす時間が長くって。習い事もたくさんしたんですけど、野球の試合がある、剣道やバスケの試合がある、というところに行っても、結局、両親が来てくれない場面がすごく多かったので、そういう特殊な環境にいるのが、すごくいやで、みんなと同じがいいというふうに感じていたところがありました。母子家庭で育ってるっていうこと、母親がカメラマンっていう、他の友達には絶対いないケースっていうのが、特に嫌でした。
インドでの衝撃的な経験
大学に入学して、今振り返れば、母の影響だったのかな、と思うんですけども、自分もとにかく海外に行きたいと考えるようになりまして。大学2年時に、アメリカのワシントン州に、1年間行って、帰国後すぐに、また、インドのゴア州というところに、1年弱、行きました。アメリカでの生活は、楽しい生活だったんですけど、そんなに大きな学びみたいなのは、あまりなくって。でも、インドでの生活っていうところが、すごく衝撃的で、うーん、今までの価値観が、本当に、アップサイドダウンするような、出来事が、たくさんありました。
これが本当に、起業のきっかけっていうところの具体的な例に入ってくるんですけども、具体的には、やっぱり、「教育が大切だな」、と。なぜ教育が大切かというと、道でのたれ死んでしまっている人もいるし、生活のために我が子を売るようなお母さんも、生々しい現状を見て、その中で、うーん、この人たちが幸せに生きていく一つの変数としてあるのは、なんか、教育にアクセスできるような、機会なんじゃあないかな、というふうに考えるようになりました。
その後のヨーロッパ・アジアへの旅
かといって、大学2年生、二十歳ぐらいの若造には、何も、結局することはできず、帰国をしまして、それこそ、母のDNAなのか、もっと海外を見たくなるような衝動に襲われる。アジアから欧州の方まで、30か国ぐらい、貧乏旅行をして、いろんな国の人たちに触れて。で、本当に、かけがいのない、その、生の言葉であったりとか、いろんな人たちに優しくしてもらう機会を得てですね、なんか、過去の自分を精算できたというか、人、もの、衣食住あれば、なんかもう、いいなと。かつ、今までは、自分の欲しいものばっかりにフォーカスしたんですけど、自分の既に持っているもの、家族とか、友人とか、自分の夢とか、そういったとこに、フォーカスできるようになって、過去の、コンプレックスとか、複雑なものから、解放してくれたような旅になりました。
東南アジアで見聞きしたこと
で、その中で行った、一つのエリアが、東南アジアだったんですけど、東南アジアで見てきたものがですね、日本語を勉強している人たちが多いな、というようなところがありまして。で、インドでの、教育が大切だなというところと、ちょっとリンクをして、日本語学習っていうような文脈で、興味を持つようになって。こんなに日本が大好きでいてくれるような人たちがいて、学校に行けないっていう人も、中にはいたし、日本人と話せないっていうような人たちもいたので、その時に、彼らに、何か自分ができること、何か日本にアクセスできるような機会を提供できないかな、っていうようなことを考えるようになりました。これが、海外で感じた一つの経験で。
アメリカの老婦人とインターネット
もうひとつが、この留学と旅行から帰ってきたらですね、英語をなかなか話す機会が、日本でなくなってしまって。その時に、母はもう日本にいたので、誰か英語を話せる人を紹介してくれ、というような話をしたときに、フロリダに住むおばあちゃんを紹介してもらって、よく彼女とスカイプで、このような感じで、話をしてたんですけど。その時に、彼女の人生経験とか、哲学とか、それこそ、今、アメリカですごく加熱している、なんか、Black Lives Matter、BLM運動みたいな、公民権運動にすごく興味があって、Martin Luther King, Jr.とかRosa Parksとか、そういった時代の動きをまさに見てきた、南部に住む白人の女性から、彼女の、それも直近に感じてきたこととかを、教えてもらって。その、自分より年上の人と会話をして、何か彼らの人生に触れるということも、ひとつ、教育として、ありなんじゃないかな、というふうに思いまして。
そこから、時期は、2年ぐらい流れてから、実際に起業することになるんですけど、僕は日本で生まれ育ったので、日本のシニア層の人と、海外で日本語を学んでいる人をつなげるようなプロジェクトを立ち上げたい、っていうようなところで起業しました。