ユネスコ世界無形遺産である能楽により「水や森を大切にする気持ち」を持って、
世界を一つにつなげ、次代へと「美しく豊かな水や森」を伝えていきたい。
今回のSDGs Japan Portalのインタビューは、「Noh for SDGs」を掲げて、新作能『水の輪』『オルフェウス~森の豊かさを子ども達と一緒に守り、育てる』の公演を中心に、文化の力で持続可能な社会の実現をめざされている公益財団法人山本能楽堂のCOO(運営責任者)ともいうべき山本佳誌枝さんに登場していただきます。
―その2―では、SDGs採択に先駆けて実施されてきたさまざまな“持続可能な社会づくり”についてお伺いします。
SDGs採択以前から持続可能な社会づくり
そのきっかけは、大阪最古の堀川「東横堀川」の水辺再生活動
編集部:山本さんは、2016年1月1日にSDGsが正式に発効する以前から“持続可能な社会づくり”の活動をされていると伺っていますが、具体的な経緯をお聞かせ願えませんか?
山本:きっかけは、「東横堀川水辺再生協議会」の活動でしたね。
東横堀川は、太閤秀吉さんの命で開削された大阪最古の堀川です。大阪のまちを支えてきた堀川でしたが、大戦時の大阪大空襲で界隈は大きな被害を受け、終戦後、戦災復興土地区画整理事業が実施され、高度経済成長期を迎えた頃、川に蓋をするように阪神高速道路や高架橋が建設されました。川面が無機質な建築物に覆いつくされてしまったのです。
川の存在は忘れ去られ、川底にたまったヘドロの悪臭がひどい……このような状況をなんとかしたいと2006(平成18)年に地元の人々が自治体と連携して「東横堀川再生協議会」を結成され、東横堀川の魅力向上のためにいろんな活動をはじめられたのですが、山本能楽堂もその活動の初期から参加させていただいていました。界隈の清掃や水質改善の活動をする中で、水環境による地域活性化や新たなコミュニティの創設に感銘を受け、水環境保全の大切さを学びました。
編集部:山本能楽堂が、東横堀川から徒歩5分に建っているという立地も大きく影響しているようですね。
山本:そうですね。やはり地元ですからね。大切にしたいと思っています。ところで、この場をお借りして、山本能楽堂の歴史というか、由来についてご説明したいと思います。
山本能楽堂は、1927(昭和2)年に山本家10代目である山本博之によって創設されました。
当時は、大阪が「大大阪」と呼ばれ、空前の賑わいを見せて、活気に満ち溢れた時代。そこで、船場の旦那衆が中心となって、船場にほど近い谷町に「文化的な社交場」をつくることを目的に生まれたんです。いわば「浪華の文化サロン」ですね。
能楽は元々“観て楽しむもの”でした。それが太閤秀吉さんが“自ら舞って楽しむ”という喜びを見出されました。秀吉さんは、自ら曲をつくり、それを舞っていたんですね。以来、大阪には、“嗜む芸能”として能楽の文化が根付いていきました。その伝統を継いで、創設以来、山本能楽堂を中心として、大勢の人たちが能楽を通じて文化交流を深めてきたのです。
また、山本能楽堂は、今や全国でも珍しい木造三階建てで、2006(平成18)年に、文化審議会により国登録文化財の指定を受けています。
山本能楽堂外観(山本能楽堂公式ホームページより)
山本能楽堂能舞台(山本能楽堂公式ホームページより)
SDGs採択以前から持続可能な社会づくり
はじまりは、「水都大阪2009」での創作能『水の輪』の初演
編集部:奇しくも山本能楽堂が国登録文化財の登録を受けた年(2006年)に東横堀川の水辺再生活動がはじまっているのですね。考えてみると、“文化の社交場”を担ってこられた山戻能楽堂さんならではのことですね。ところで、それから後、地域での持続可能な社会づくりは、どのように発展していったのでしょうか?
山本:東横堀川の活動を続ける中、2009(平成21)年に、官民一体となって“水の都・大阪を復活させよう”と「水都大阪2009」の活動がはじまりました。ようやく大阪人が水辺に再び目を向け始めたんですね。この活動に、私たちは、日本を代表する伝統芸能である能楽の力を使って何かお役に立てないものだろうか、と考えていました。ちょうど、私たちの財団の理事をされてくださっていたサントリー・ホールディングスの鳥井信吾さんからも新作能制作の打診をもらったりしていて……。そんな中、2009年8月22日から10月12日までの52日間開催された「水都大阪2009」の最終日を彩るイベントとして、私たちが新作能を制作・初演することになりました。
編集部:制作・初演されたのは、どのような新作能だったんですか?
山本:タイトルは、『水の輪』といいまして、大阪の水をテーマに環境問題を考える曲です。会場は、 “川の駅”としてインフラが整備されたばかりの天満・八軒家浜。その船着場の船上に舞台を設けて舞わせていただいたんです。
八軒家浜といえば、かつての“渡邊の津”の流れを汲む港。江戸時代には、大坂と京を結ぶ“三十石船”の終着港となるなど、淀川舟運の要衝として栄えていました。そんな由緒ある場所を舞台に舞えたことに感謝しております。
当日は、レストラン船「ひまわり」の船上に特設舞台を設け、そこにアート活動「羊飼いプロジェクト」でも知られる平面作家の井上信太さんにつくっていただいた松を掲げて、お客様には桟橋から見ていただくというスタイルを取りました。なんと3000人もの人たちが見てくださったんですよ。ありがたいことでした。
新作能『水の輪』の舞台
編集部:『水の輪』とは、具体的にはどんなお話の曲なんですか?
山本:端的にまとめると、汚れてしまって水の神様が逃げていってしまった大阪の水を子どもたちが20羽ほどの水鳥になって掃除します。水がきれいになると逃げていった水の神様がもう一度現れて、大坂の繁栄を寿ぐ……というようなお話です。
編集部:新作能の初演といえば、ご苦労が多かったと思いますが、具体的なエピソードがあれば教えていただけますか?
山本:『水の輪』では、曲に膨らみを持たせるアイ役として子どもたちが水鳥となって舞います。この子どもたちの稽古がたいへんでした。天神祭の奉賛会が所有されている能船をお借りして、当日まで謡の練習や歴史の学習を繰り返しました。
また、子どもたちの衣装は、すべて手作りすることにしました。松を描いてくださった井上信太さんにワークショップをしていただいて、ビニール袋やブルーシートを素材にして、子どもたちが自分でつくったんですね。
新作能『水の輪』にアイとして出演した子どもたち
編集部:考えてみれば、SDGsのSの字さえもまだ世に出てきていない時に、目標4:質の高い教育をみんなに、とか、目標14:海の豊かさを守ろう、などといったことにつながるSDGs的な活動をされていたんですね。
山本:そうですね。でも、やはり、能楽の新作を制作・初演をするには多大な経費がかかります。また、水辺の公共空間で舞うにも大きな予算が必要です。それを自己資金だけで賄うのはたいへんなことでした。でも、偶然目にして応募した大阪観光局の「元気な大阪へ行こう!遊ぼう!アイディアプラン」という助成金に応募して採択していただいたことや多くの在阪企業の方々からご支援をいただき、初演に漕ぎつくことができました。
本当に大阪は“人情のまち”だなと実感し、“水くさくないまちやなぁ”と感謝しています。
今回は、SDGs採択以前での山本能楽堂の“持続可能な社会づくり”の活動をご紹介しました。次回は、新作能『水の輪』をメインに山本能楽堂とSDGsとの関りについて、引き続き、山本佳誌枝さんにお話を伺ってまいります。乞う、ご期待。