平田オリザ氏(H)へのインタビュー 聞き手: あおやまあきら(A)※未来投資研究所 理事
〈-その1-〉 演劇の楽しさ
- 演劇の起源
- 話し合いのディシプリン
- 劇場というシステム
- 空間を共有する楽しさ
- 他者を演じる
〈-その2-〉 始動
- 東京駒場商店街
- 演劇活動の開始
- 演劇の言語に対する違和感
- 固有性と普遍性
〈-その3-〉 社会の中で
- 劇場経営
- 劇場の役割
- 地方とのつながり
- 演劇を作る劇場
〈-その4-〉 豊岡
- 市長との出会い
- 豊岡に文化を
- 演劇教育
- 国際観光芸術専門職大学
- 劇団ごと移住
〈-その5-〉 教育と地域社会
- 世界都市
- 演劇教育は世界標準
- 演劇教育を通して学んでほしいこと
- ステイホームとは
- 弱者のいない災害
(2)始動
A:文化が、社会の中で育っていくというところで、その社会って何かと言いますと、その土地、自然があり、地域社会というのがある。そこで、その土地との関わり合いが、大切な意味を持っていると思うんです。平田先生は、どこのご出身ですか?
東京駒場商店街
H:僕は、生まれたのは、東京の駒場です。あの、東大の。東京とはいっても、山手なんですけど、商店街のど真ん中で育ちました。まだ当時、昭和30年代から40年代ですから、もう、人の家に子供を預けるなんてのは普通の時代で、そんな中で、育ちました。それと、行っていた幼稚園が、非常に、行事とか演劇とか多い、盛んなところでしたし、そもそも、うちの父親が、売れない作家で、演劇もちょっとやっていたので、周りに映画や演劇の関係者がすごく多かったので、私自身はもう当たり前のように、そういうものに触れて育ったのですね。
A:すると演劇との関わり合いというのは、そういう小さい時からの、ことなんですね。
H:そうですね。普通に見てて。父親も私を作家にするように育てたので、自分自身は、もう、そのつもりだったんですけど、実際に演劇を始めたのは、大学の時からですね。
A:その大学の前に、16歳ぐらいの頃ですか、世界一周自転車旅行に出かけられましたね。
H:それはですね、もうずいぶん前だからなぜそうしたのか、よくわかってないですが。まあ、駒場はのんびりしたとこなんで、一方で、東大の門前町なんですね。ほんとにもう東京大学教養学部の前にあって、ま、ちょっと、なんか成績がいい子供は、必ず東大に行くような雰囲気の街なんです。で、ちょっと、子供心にですね、特に、今よりも激しい競争社会だったので、ちょっと、これ、しんどいなという感じはあったんだと思うんです。それで、中学の時に、定時制高校に行くことを選んで、定時制高校に一年行って、お金を貯めて、高校2年から、2年間休学して、自転車で世界一周しました。
A:どうして世界旅行と思われたんですか。
H:ま、海外に行きたかったんでしょうね。今みたいに、高校生とかが自由に海外に行ける時代では、まだなかったので、とにかく、外国に行きたかったのが、一番だった。
A:それは、ものすごくワクワクしたでしょうね。いろんなことが。
H:それはそうです。
演劇活動の開始
A:その後、大学は、ICU(国際キリスト教大学)に行かれて、そこで演劇を志されてたわけなんですが、ICUの役割というのは、大きいものでしたか。
H:やっぱり大きかったと思いますねえ。非常に自由な校風ですので、自分で台本を書いて、授業に出てない連中を集めて、ラウンジでたむろしてるような連中を集めて、劇団を作ったんです。
A:言葉の問題なんかも、ICUというぐらいですから、英語とかがすごく日常的にあるのかなと思うんですけども。
H:あ、いや、そんなのは無いです。それは、世間からそう見られていますけれど、そんなことはないです。
演劇の言語に対する違和感
A:では、いよいよ、演劇のことに移っていくんですけれど、日本の演劇というのは、サイエンスや他の文化と同じように、現代のものは、外国から入ってきたもので、西洋の文化ですね。それに対して、最初に、日本語と、それから、日本の暮らしとか、考え方、そういうものに基づいた演劇を、やっていきたいとお考えになられたんですけど、どういうところからそうお考えになられたんでしょうか。
H:もともと言葉に関心があって演劇を始めたようなとこがあるんですけど、それで、在学中に、留学先も韓国を選んで。それは、日本語の文法に近い韓国語を習得したほうが、いいだろうということで。1年間、韓国の大学に行って、韓国語を習得する過程で、日本語と非常に文法構造が近いので、日本語を客観的に見ることができて、どうもその僕が抱いていた演劇の言語に対する違和感というのは、要するに、ヨーロッパの演劇手法をそのまま移入、輸入した時に、戯曲の書き方や言葉づかいまで、全部輸入してしまって、で、どうも日本人は、こうは喋らないだろうということを、考えたんですね。それは、語順であったり、助詞、助動詞の問題であったり、するんですけども、それを、後々、理論化していったということですね。
A:その場合、日本語だけじゃなくって、日本人のものの考え方とか、暮らし方とか、そういうことも含めて、ですか。
H:そうですね。それも、もちろんあります。もともと、小津安二郎さんの映画とかが好きで、ああいう世界を劇にしたいと、思ってたので、どういうことなんだろうということをよく考えてました、20代の当時は。
固有性と普遍性
A:最近、豊岡で、東京ノートの劇を、7カ国の言葉を交えて、上演されていると伺いましたが、他の言語の大切さ、というか、面白さというのも、だから逆によく、対照的にとらえられることにもなりますね。
H:そうですね。あの、一つは、小津安二郎さんの映画もそうなんですけども、非常に日本的なものを極めていくと、ある種の普遍性みたいなものが、その中に出てくるということですね。それは、多分、なぜかというと、それは真似ではないからなんだと思うんです。真似ではないところには、その民族の固有性を突き詰めていくと、ま、これは文化が芸術に転化するといってもいいと思うんですけれども、その芸術の領域に入っていくと、それは、一挙に世界的な普遍性、多民族に理解できるものになっていくということなんです。
小津安二郎 氏