本稿では、熊問題への中・長期的な対応の一つとして、前稿でまとめた熊問題の全体像に基づき、現代型レンジャーという具体的な構想を提示します。
現代型レンジャーの構想
1. 熊問題を解決するための全体像
熊問題は、本稿第1部で見てきたように、人と生態系の関係の変化によって生じてきた、複雑な問題を孕んでいます。
その変化の特徴は、時代を追うに従って、熊による被害が、山から市街地へ漸進的に変化し、拡張した様子に伺うことができます。
その特徴は、人間社会の変化に生態系が対応して変化し、結果として熊の繁殖や行動に影響を与え、最終的に、人と熊の遭遇による被害に至ります。この人と生態系の相互作用はすでに起こってしまったというよりは、現在進行形で、農村地帯、地方村落などの衰退と人の流出は、現在も止むことはありません。それは、山や山里、農地や農村の生態系の変化を促しており、それは最終的には熊の増加と市街地への進出、熊と人との遭遇の増大、そして、被害の拡大の連鎖として、今後も継続、増大していくことでしょう。
山→里山→農地→農村→市街地
この複雑で大きな人間社会と生態系の互いに絡み合っている相互変化を、何らかの形で止めなければ、熊問題の根本的解決には至りません。そのためには、山から市街地への変化の矢印を逆向きにする必要があります。
山←里山←農地←農村←市街地
この逆向きの変化は、熊の被害を市街地から漸進的に山に向かわせる向きなのですが、もちろん、実際に被害を起こさせることは意味していません。熊を山に、本来の生態系に、戻す向きにするということです。
この努力は、個別的にはもう始まっています。例えば、里山の再整備は、
山←里山
を加速させ、山から里山への熊の流出を減少させる意図を持っており、実際その効果が期待されます。
しかし、
山→里山→農地→農村→市街地
という右向きのプレッシャーは大変強く、山林地帯に近い農村や地方都市からの人の流出と地域自体の衰退は、現在進行形で強く続いています。この右向きの流れに対処しなければ、左向きの熊の山への帰還の流れは実現できないでしょう。
では、ありうるべき熊と人の流れの状態はどのようなものでしょうか?それは、
山→里山→農地→農村→市街地
山←里山←農地←農村←市街地
という両方の向きの流れを調整し、適切な定常状態に落ち着かせ、結果的に動的な定常状態を作り出し、保つことでしょう。
2. 現代型レンジャーの構想の由来
このような山、里山、農地、農村、市街地という多様な地域での、生態系と人の社会の変化に見合った定常状態を作り出すには、この山から市街地全体の生態系と人の社会を把握する必要があります。それぞれの地域での個別的状況の把握とそれへの働きかけは、現在でも行われているのですが、それらの横のつながりを作ることは、私たちにとって、結構苦手なところです。しかし、そのような横のつながりを実現して、山、里山、農地、農村、市街地という多様な地域を全体として把握しながら活動できる可能性を持った職種が、現に存在しています。それが、
レンジャー
という職種です。
レンジャーの目的は、本来、国立公園などの山林地帯における自然生態系を保護・維持し、人間社会との関係を適切に保つことにあります。
このレンジャー組織を、熊問題等の困難に直面している、山、里山、農地、農村、市街地という多様な地域で活動する現代型レンジャーという職種に拡張することによって、上で述べた熊問題の根本的解決に結びつく
山→里山→農地→農村→市街地
山←里山←農地←農村←市街地
という双方向性の動的定常状態を作り出すことができると期待されます。
これが、「現代型レンジャー」の構想です。
一般的なレンジャー組織は、世界中で、森林地帯などの自然と人間社会の間に立つ、それぞれの国の事情に従って特徴ある組織として整備されています。日本でも、日本特有のレンジャー的な組織が国や自治体によって整備されています。
しかし、のちに述べるように、日本のレンジャー的組織は、分野別の縦割り、公務員の職場ローテーション制度、そして何よりも、人数の極端な少なさ、によって、ここで述べている山から市街地全体における定常状態を作り出す役割を果たすには超えられない限界があります。
そこで、上に述べたように、自然生態系と人間社会の関係を定常的に調整し維持できる現代型のレンジャー組織を、個別的にはそれ自体よく整備された既存の組織と関係づけ、連携させながら、日本の各地に創設し、育てていってはどうだろうか?というのが、現代型レンジャーの構想です。
この現代型レンジャー組織の構想は、熊問題の根本的解決のために発想されたものですが、その性質上、日本各地域の気候風土と特徴に従って、それぞれにおける生態系と人間社会とを橋渡しすることで、日本各地で、非常に多様で、豊かな持続可能な地域社会を創生できるという大きな可能性をも秘めています。
しかし、その全貌を議論することは、この記事の範囲をはるかに超えているので、ここでは、熊問題に焦点を合わせて、この現代版レンジャーの構想を、提示したいと思います。
3.現在の日本のレンジャー的組織
現在、日本で「レンジャー」と呼ばれる存在は、
1)国(環境省)の自然保護官(いわゆる国立公園レンジャー)
2)国(林野庁)の森林官(森林管理官)
3)都道府県・自治体の自然保護職員
の3種類があり、それぞれ役割と法的位置づけが異なります。
1)環境省所属の自然保護官
全国に約35ある国立公園に配置されている、いわゆる国立公園レンジャー300名前後で、それに加えて、非常勤補助職としてのアクティブ・レンジャー約300名前後の、合計600名前後が従事しています。その役割は、国立公園の管理運営、野生動物管理(シカ・熊など)、観光・登山・保全の調整、外来種対策、地域との調整、事故対応など、国立公園内での活動に限られています。
但し、正規の自然保護官は、「行政調整・計画立案」を担い、現場での実務は非常勤のアクティブ・レンジャーが担っています。しかも、正規の自然保護官は、国家公務員としてのローテーション職であり、勤務地が変わる可能性があります。アクティブレンジャーは、原則1年契約の非常勤職です。
このように、日本全体の広大な国立公園に対して、わずか600人程度、しかもそのうち正規レンジャーは行政調整で、ローテーション制に従っており、公園内での実務は300人足らずの非常勤補助職員が、有償、無償の2,000~3,000人程のボランティアの人たちの協力のもと、担っているのが現状です。
2)林野庁所属の森林官(森林管理官)
林野庁は、日本の森林面積の約3割を占める国有林を管理していますが、森林官の人数は、全国でわずか2,000人前後、しかも国家公務員としてのローテーション職となっています。
その彼らが、国有林管理、治山事業、森林整備、狩猟管理の一部、林道管理など、重要な山林の管理現場を担っています。
3)都道府県・自治体の自然保護職員
各自治体で異なっており、推定ですが、自然保護関連の多くの職種の合計としても、日本全国で、3,000人前後で、しかも原則ローテーション制で、数年ごとに人が変わります。
以上、日本でのレンジャーの実情を見てみると、日本の広大で豊かな自然環境に対して、圧倒的に人数が少なく、しかもそのほとんどがローテーション制度に従うことがわかります。
結論として、日本には、野生動物管理を生涯専門として担う固定職レンジャー制度は存在しないと言ってよい状況です。行政官が回ってくる構造であり、現場知識の蓄積が制度的に保障されるのが難しい状態です。
4.世界の国々のレンジャー組織の例
1)アメリカ:National Park Service
全国の国立公園を管理するために約2万人規模の職員が配置され、30万人以上と言われるボランティアと共に、広大な国立公園を常時カバーできています。彼らは自然保護、来訪者への教育、安全管理、法令の執行といった役割を分担しながら担い、「自然を守る人」であると同時に、「人と自然の関係を管理する人」として制度化されています。レンジャーは専門職キャリアで、警察権を持ち、武装しています。さらには、野生動物管理専門レンジャーが存在したり、生涯レンジャーの道も開かれています。例えば、熊対応に関しても、専門チームが常設され、麻酔・追跡・発信機装着等が推進され、危険個体が特定され、それに対する対応プロトコルが確立している、と徹底しています。レンジャーは、「管理者」ではなく「現場での権限を持つ専門家」として独立しているのがアメリカらしいです。
2)ドイツ Bundesamt für Naturschutz
州ごとの自然保護官制度があり、そのための専門養成課程が存在しています。ぜんぶで16の公園があり、300〜400人ほどの自然保護官に対しては、生態学的専門性が重視され、地域での長期駐在が通常であり、レンジャーの専門職化が明確です。
3)スウェーデン(北欧型) Swedish Environmental Protection Agency
北欧は、レンジャーは各国200~300人程度で、その自然状況から、人々が生態系中心思想を持っており、クマ・オオカミ専門管理官の存在、科学研究と現場の統合、地域社会との対話職も設置されており、特に野生動物は「国家的専門領域」に属するなど、レンジャー体制が整っています。
レンジャー制度の比較

以上のように、西欧諸国は、自然は国が直接管理する公共領域と捉えて、専門的レンジャー組織を整備しており、それに対して、日本は、自然は国が直接管理する領域とは捉えておらず、自然管理者としてのレンジャーという明確な組織を制度化するには至っていないことが非常に対照的に現れています。
日本の自然に対するこの態度は、決して非難されるものではないのですが、自然と人間社会のありようが劇的に変化している現代においては、欧米諸国のレンジャー制度に学びつつ、現代の日本の実情にあった、現代版レンジャーを構想する良い機会であると思います。
後で言及しますが、上の表で示された欧米との鮮やかな違いに、レンジャーの警察権、武装があります。この制度は、日本に導入するのは極めて非現実的ですが、熊問題で視覚化されたように、日本では日本猟友会など民間のいわばボランティアが、野生動物に対してはその役目を担っています。また、視点を変えてみると、日本では、自衛隊の活動が、欧米でのレンジャー活動と重なる部分があります。特に、台風、地震、豪雨、洪水、火山爆発など、自然災害が多発し、日常となっている日本において、災害時の自衛隊の活動は、日本における現代版レンジャーと自衛隊の関係は一考するに値すると思います。
4)アフリカ諸国
一方、アフリカの多くの国立公園や保全地域では、レンジャーの存在はさらに重要かつ切実です。密猟から象やサイをはじめとする野生動物を守るため、特に大きな国立公園を持つ国では、数千人規模のレンジャーが配置されており、密猟対策や巡視にあたっています。
これらのアフリカ諸国でのレンジャー制度の特徴は、犯罪組織による密猟対策のため、武装し、軍事訓練を受け、実際命の危険と対峙していることと、貧困や観光に関連して世界各国からの援助が大きいことです。しかしもう一つ注目すべきことは、自然保護、密猟、貧困といった社会問題の解決を目指した地域雇用型、地域還元型のレンジャーとして、地域住民の生活と不可分の存在としての活動が広がっていることです。ここでは、生態系保護は理念ではなく、地元民の生存と直結する実践であり、多くの人数の確保そのものが生態系保全の成否を左右しています。
5.日本における現代型レンジャーの構想
日本で構想される現代型レンジャーは、欧米型とアフリカ型の中間的なものとして位置づけることができます。欧米のように制度化された公共職であると同時に、アフリカのレンジャーが示すような現場の現実や地域との親密度を持つ存在です。自然生態系の保護を大目的とし、熊などの野生動物の出没、野生動物の数的バランスの変化、感染症リスク、自然災害など、多種多様な危機に日頃から対応するとともに、各地域社会と密接につながり、自然と人間社会の橋渡しとなり、地域の活性化の原動力となるような活動が、日本における現代型レンジャーの重要な役割となります。
その実現のために大切なことは、各地域において、専門職としてのレンジャーの人数を大幅に増やすことです。そしてその前提として、専門職としてのレンジャーという職種を確立し、それに従事する人々とその家族が生活できる経済的体制を作ることです。これによって、自然を守りつつ、人と自然の多種多様な関係を調整し、さまざまの問題に対処するのに足りるレンジャーの人数が確保されます。これが、熊問題をはじめとするさまざまな課題を個別的対症療法ではなく、「山と市街地の間の熊と人の適切な流れを定常的に持続する」ための必須条件であると思われます。
そのためには、国や自治体のイニシアティブが必要であるのはいうまでもありませんが、さまざまな民間企業の参加がそれを支え、加速させることが期待されます。これは取りも直さず、それぞれの地方の活性化と持続可能な豊かな社会の構築の一助となるに違いありません。
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